私と自然と色

マグノリア(こぶし)の実
いびつな実

本日、太陽を描こうという色育ワークショップを色育士の岸いずみさんが開催した。
いずみ先生とは古い仲だ。
「色」と「自然」と「私の生命」とのつながりを、
彼女とは長い間、語り合ってきたように思う。
自然ってそれぞれ変だよね〜、という話も。

こういった私の仕事には、
年齢も性別も職業も関係ないと知ったのは、いつ頃だろう。
私の周りには、ひとまわりの年上もひとまわりの年下もいる。
それでも同じ仲間の感覚で、年齢の壁はあまり感じない。
自然の生命という点でつながると、どんな階級のヒトでもただの生命だ。
ギャップを感じるとしたら、カラオケに行った時ぐらいだろうか。笑

イペの実、バナナ?

若くとも直観力が優れているが故に、現代を生きにくい人も
色を仕事に選ぶ人の中にはいるように思う。
感受性が豊かで、想像力が溢れている人は、
社会的規範の中で生活することは、試練になる。
そんな人は、もとより、色というものがとても大切だと
感覚的に知っている。
 
興味がある方は、ぜひいずみ先生やまだ数少ない色育士たちの
色育ワークショップを受けてみるといい。
いずみ先生の場合は、なかなか凄まじい人生を歩んでこられたからこそ、
深い色合いや葛藤する心、悩み抜く心を持っているように感じる。
じわじわ笑えるようなことや、
彼女がどんなことをもなんとか笑ってきたユニークさが
講座に込められているのだと思う。
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毛に覆われている植物(キンモウコ) サル?

私は、華やかなものだけがヒトを高めるのではないと思う。
地味だったり、ネガティヴだったり、毒舌だったり。
善も悪も丸ごとで、
ヒトはようやく自分を高めてゆくことができるのではないかと思う。

人には間違いなく色がある。
それは一定ではなく、変わっていく。
経験し成熟すれば、呼応する色も変わってくる。
ぐっと蕾のように閉じた色であるときもあれば、
花のように鮮やかな色のときもある。
頑なに自分を決め込んで突き進むときの色もあれば、
柔らかく何をも決断できないような漂う色もある。
 
部分的な時代の色を見つけながら、
一生を大きく見たときの、私を統べる1つの色も
きっと見つかるのだと思う。

シュウカイドウ
小さく可愛らしいのにトゲ

心の中に自然がある。
その自然を、できるだけ豊かにしておくために、
色があるのではないだろうか。
心の中の自然を耕そう。
それが私という花を咲かせることの
力になってゆく。
私には醜さがある。
私には妬みもある。
それらもすべて、私という人間を個性的に作る土壌になる。
嫌いな色も、憎たらしい色も、
そう感じるということは、私を作るスパイスになっている。

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