色彩自然学の学校の3つの取り組み

色彩自然学の学校

1. 人と自然との結びつきの回復

人類の抱える課題 ”自然との共生” に、色彩という視座やものの見方から取り組みます。

色を本質的に考える礎ー自然観の回復

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色彩環(リング・カラー)

 色彩が人間に与える影響は、意識領域から無意識領域まで行き渡っています。
それは、色彩が半ば光、半ば闇である性質を有しているということ、そして、外的世界における光と闇が、内的世界においては「意識」と「無意識」に対応していること、つまり、私たちを「大宇宙」に包まれた「小宇宙」であるという自然の本質的理解によります。
 明かりが強いものは意識的・合理的なふるまいや表れとして、翳りが強いものは無意識的・非合理的な作用や諸力として、人間の心と呼応しています。人間の心の本質的なものは、自然の摂理の中で生じているため、そのような対立原理がまず在ること、そしてそれらがぶつかり合い活性し、統合する方向性の中で「私らしさ」を求める生きる活動が生まれていくのではないかと考えています。

「色の本質」に接近するには、「私の全体」が必要になる

 色彩により受ける印象は、例えば黄に対して「光」や「明るさ」をイメージする人もいれば、「鋭さ」や「あの頃のワンピース」などをイメージする人もいます。これらの印象を大きく分けると、「個人的なもの」と「集合的なもの」に分けられます。色彩により人間にもたらされるイメージは、無意識の働きを多分に含みます。そのため、個人的なものと集合的なものとして、無意識のもつ重層性が色のイメージには関わります。また、「集合的なもの」の中でもより根源的なもの、原理的なものに対して、「本質的」という言葉がふさわしく、そこには、科学とは違う手法で追求される、「心理学の至る普遍」が息づくと考えるべきです。なぜなら、人間と切り離され、対象化された自然を科学的に研究することでは、生きた自然の本質へと到底至ることができないからです。人間と関係性をもったまま、全体と関わりのある自然をそのまま研究する、つまり心理学的手法の中に、その生きた本質が見つかると考えます。

 このような色彩の本質を捉えようとする試みは、研究する者の感じる心を手放さず、対象的思惟を働かせながら、注意深く観察する姿勢が必要になります。筆者は、本来の色彩教育や、色彩自然教育、色彩心理学教育には、このような対象的思惟から発達する創造力や、主観性と客観性の両方を培うための観照的的態度が、子どもたちや大人にも育まれる可能性に満ちていると考えています。筆者は、日本色彩心理学研究所の開催する色彩環理論や色彩自然学講座を実施しながら、色彩を自然の原理から見つめ学ぶことで、学習する者たちの心にある「内なる自然」を豊かに耕すことを目指しています。


 色彩を本質的に知る道の上にたつと、「私」は「私」の全てを総動員して色との対話に向かうことになります。色を知り、その本質へと接近する際に使う私の部分は、「意識」だけではありません。「半意識」も使うし、「無意識」も、「魂」も「自己全体」も使っていることになります。
近代科学の成功により、日常的に「自我意識」を酷使して生きなければならない現代だからこそ、このような色彩教育の機会をもって、色からイメージの働きにむかい、「私」であることを超えた存在の全体をつかって、創作活動をする時間をもつこと、そしてそのことから、自分がほんとうに思うこと、感じることがなんなのかにフォーカスすることが、ひとりひとりがその人の人生を生きること、その人自身を生き抜くためには、必要であると考えています。

色彩によせて、「私」の全体を活性し育むことにより、私の内なる自然が活気付くことで、人間力が豊かになります。

2. 色彩教育の価値の向上

描いて体感する色彩教育

色彩教育は、人間の感覚が、「自然」ということと結びついているものであることを信頼できていく教育です。

感性や想像力を通して、科学だけでは掴めない自然の奥処を、自然の生きた表情体験として学ぶことができます。

このことが人類の未来にとって、自然とともに歩むことの可能性を保ち、自然とともにある「心」を育む上で、必要な教育ではないかと考えています。

色彩自然教育のになうこと

色彩自然教育は、以下のことに貢献すると考えます。

☑️ 色を自然の在り方や循環学として学ぶことで、創造性豊かな自己を発見することにつながる
☑️ 自然の一部として自分自身をとらえる力がつき、逞しい生きる活動につながる
☑️ 想像力が育まれ、差異を認める心、自己を肯定する心が育つ

色彩を学ぶことは、自然にあるあらゆる生命を学ぶことにも結ばれます。
どの生命にどんなドラマがあり、私という生命にどのような物語が与えられているのか、
感受性を豊かに保ちながら、
自己を実現してゆく逞しさや、
意味や価値を感じられる主体を育む力、そして他者や自然を我がことのように思いやれる想像力を、
色彩自然教育がもたらすことができると考えます。

3. 専門家”色育士”の輩出とユニークな場づくり

専門家として本校認定資格”色育士”の養成と認定、活動サポートを行なっています。

色と自然と心についての豊かな知識と、心理支援の素質をもち、自分の足場でユニークに活動する人材を、”色育士”として養成認定し、それぞれの社会活動の創造と支援をしています。

代表の挨拶

髙橋水木 代表/色彩自然学者/色彩心理学者

Mizuki Takahashi

4年制芸術大学卒業後、日本色彩心理学研究所に17年勤務。子どもから大人まで色彩表現創作活動による心理療法や心理支援活動に従事する。日本色彩心理学研究所代表に就任後、一般社団法人色彩自然学の学校創立。色彩自然学、色彩心理学、自然色彩学など、色と自然と人間に関わる色彩教育に携わり、色彩から学ぶことのできる自然循環学を発信することで、自然と共に生きるという人類の課題に挑む。

[ 研究分野 ]
・色彩と元型(ユング心理学)の連関 ・ゲーテの色彩環理論における自然循環学
・色彩表現療法における色彩心理学 ・色の本質と自然


じめまして。
 一般社団法人 色彩自然学の学校の代表をしています高橋水木(たかはし みずき)です。みなさんからは「ミッキー先生」とニックネームで呼ばれています。よろしくお願いします。

私は2004年から、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749-1832)という人の残した『形態学』という書物に魅了され、中でも、自然のあらゆる生命たちが与えられた時間の中で、「どのように自己を実現してゆくか」、「どのように自分という存在を完成へと向けていくか」ということに、”色彩”の「動き」や「変遷」が関わると知り、彼が残した『色彩論』についても研究するようになりました。
日本の色彩教育に疑問を抱いていていた私は、自然の色というものは固定的なものではなく、生き動いて移り変わっていくものであるということに感銘を受けました。色というものは、自然の動きそのものなのだなと思い、今もなお尽きない自然の学びを提供してくれる『色彩論』や『形態学』の研究を続けています。
次第に、動植物だけでなく、自然の一部である人間が本質的に発している色、経験する色、ということにも興味が及び、人間の本質についての研究を残したユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)の心理学を学びながら、心理学と自然学の接点を見出し、色と自然と人間の心ということを無限の生命力として動的、かつ円環的、発展的に捉えてゆけるような色の本質学を次へと残してゆきたいと思いました。

私は、この「色彩自然学の学校」を始める前に、芸術大学を卒業後、色を扱う心理支援の現場を15年実践させてもらいました。私の勉強してきた分野は、「色彩自然学」「色彩心理学」「自然色彩学」「色彩自然哲学」と呼ばれています。私は自分の携わる学術領域の名称については、正直に言うと無頓着でわかりませんでした。それは、研究や学びをする自分が「分類」ということからは自由でありたいと願っていたからだと思います。私がやっていることは、先人たちのさまざまな知恵や文献を勉強させてもらいながら、自分の現場経験や理論と解明統合してゆく作業です。学として分類されることのは、それを学んだ客観的な視点をもつ人たちの判断であるべきだと思っています。私のもとへ学びにきた方々は、なんの学問をやっている人なんだ?というような混乱もあるかもしれませんが、それはこのような理由から了解いただけたらと思っています。
そういった中で、2021年現在、「色彩自然学」と呼ばれることが、私にはしっくりくると現時点で感じられてきました。色の本質を追いかけるこのような分野は、自然の全体性を把握する「自然学」だとゲーテも言っていました。

色の本質を学ぶことは、光なるものと闇なるもののダイナミズムにより生まれる「自然の多様性の学び」です。「自然」がどのような組み上がり方をして、多様な姿を表現しながら絶頂へとむかい、生命のドラマをつないでゆくか。どのように一歩ずつ梯子をのぼり、どのような色彩を体験するのか。そのようなことが色という表現方法で「自然が語ることば」として伝わってくるのだと思います。

また、人間に与えられている「内なる自然」ということについても、分析心理学の開祖であるユング博士の「元型」研究は、色の象徴や根源的なイメージを理解することに必要不可欠な学びだと考えています。私は無意識を意識や自我との関わりから考えることを重んじたユング心理学の研究家でもありたいと願っています。
そういった人間を小自然として捉えた、自然の一部としての逞しい生命のドラマを、「色彩自然学」として現代社会や教育に生かせるよう発信し、同志たちとともに色彩教育の一端を担いたいと思っています。

この仕事を始めたきっかけについて

がこの仕事を始めたきっかけは、芸術大学での自己表現の多様さや重要性を経験し、前日本色彩心理学研究所にて、長年、不登校、発達障害やいじめの問題を抱えた子どもたちの、数々の色遊びの現場、色表現の現場を経験させていただいたことからです。そしてそれは、大人の方にも、色を使った自己表現と自己対話の現場が開かれてゆくことに結ばれました。
大人も子どもも、自分を自由に表現し、ありのままに自分を受け止めることが不足していることを感じました。
内なる「自然」というものが、損なわれてしまっていることが、この近大科学の発展のための大きな代償なのではないかと感じるようになりました。「内なる自然」は、私たちを創造性へと導いてくれます。葛藤する力を与えてくれ、自分が自分を生き抜くための力を作り続けてくれます。

には、言葉ではできないこと、言葉では届かないことが表現できます。不登校の子どもたちや、言葉で表現することが苦手な状況にある方は、そういった色や音のような「イメージ言語」にずいぶん救われて生きています。
色を生き生きと感じて生きることは、「魂」が喜ぶ栄養でもあると思います。

人一人に向き合うことができる心理支援の現場は、しんどいけれどとてもドラマティックな現場でした。生命のもつ困難さや課題は、ひとりひとり違います。それを解決できなくとも、彼ら自身が抱え持ってゆけるようになろうと前を向くことができるのは、色によって人間の自然力が回復できるからだと考えます。

でも、そのような心理支援の現場を開くことだけでは、日本の色への価値観は前進しないし、内なる自然を豊かにできる色彩教育にはなってゆかないと感じました。
色がどれだけ、人の心を豊かに、逞しく育んでくれるものかを、しっかり伝えられる人間になりたいと、私は思いました。それが私がこの小さな学校をやろうと思ったきっかけです。

色彩心理学を含みながら「色彩自然学」への発展

彩心理学」についてですが、私は前日本色彩心理学研究所にて、15年以上色彩心理学の研究をしていました。色彩心理学という分野は今、様々な考え方や学び方で、多くの場所で展開されています。
根っこは同じものであっても、多様な枝葉が追求されることで、複雑になっているのかもしれません。そんな中で、本来の「イメージを扱う心理学」であるという姿は、保つことが難しくなっている現状を感じます。

私は何が、正しいや間違っていると言うつもりはありませんし、わかりません。
ただ、近代発展に大きな貢献を果たしたニュートン的色彩世界観も、画家や自然研究者、心理学者に支持されてきたゲーテ的色彩世界観も、色という壮大なテーマを解明しようとする色彩研究の二大車輪なのだということだけは、間違いないと思っています。

私という人間は、そしてこの学校も、ゲーテ的色彩世界観に、色の源泉があることを見出し、その視座を研究してきました。何年たって学んでも、いつも新しく感じながら、学び続けられるものが「本質の学び」というものだと思っています。色を扱うということは、人間の心の自然を扱うことだという自然とともにある色の学びを、「色彩自然学」として、今まで長年やってきた色彩心理学の知恵を含ませてもらいながら、ここから発信してゆきたいと思っています。

色彩の本質的な力を学ぶ楽しさは、ひとりひとりの世界を広げ、しなやかに逞しくしてくれるものです。

ぜひ、学びにいらしてください。

https://www.facebook.com/uru.color/