色を本質的に考える礎

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色彩環(リング・カラー)

 色彩が人間に与える影響は、意識領域から無意識領域まで行き渡っています。
それは、色彩が半ば光、半ば闇である性質を有しているということ、そして、外的世界における光と闇が、内的世界においては「意識」と「無意識」に対応していること、つまり、私たちを「大宇宙」に包まれた「小宇宙」であるという自然の本質的理解によります。
 明かりが強いものは意識的・合理的なふるまいや表れとして、翳りが強いものは無意識的・非合理的な作用や諸力として、人間の心と呼応しています。人間の心の本質的なものは、自然の摂理の中で生じているため、そのような対立原理がまず在ること、そしてそれらがぶつかり合い活性し、統合する方向性の中で中心志向を育んでゆくことが、生きる活動の主軸になります。
このように光と闇という自然の原理に還元して色彩を考えたとき、自然の生命の永遠の公式は、色彩により表現されていると言うこともできます。

「色の本質」を捉えるには、「私」の全体が必要になる

 色彩により受ける印象は、例えば黄に対して「光」や「明るさ」をイメージする人もいれば、「鋭さ」や「あの頃のワンピース」などをイメージする人もいます。これらの印象を大きく分けると、「個人的なもの」と「集合的なもの」に分けられます。色彩により人間にもたらされるイメージは、無意識の働きを多分に含みます。そのため、個人的なものと集合的なものとして、無意識のもつ重層性が色のイメージには関わります。また、「集合的なもの」の中でもより根源的なもの、原理的なものに対して、「本質的」という言葉がふさわしく、そこには、科学とは違う手法で追求される、「心理学の至る普遍」が息づくと考えるべきです。なぜなら、人間と切り離され、対象化された自然を科学的に研究することでは、生きた自然の本質へと到底至ることができないからです。人間と関係性をもったまま、全体と関わりのある自然をそのまま研究する、つまり心理学的手法の中に、その生きた本質が見つかると考えます。

 このような色彩の本質を捉えようとする試みは、研究する者の感じる心を手放さず、対象的思惟を働かせながら、注意深く観察する姿勢が必要になります。筆者は、本来の色彩教育や、色彩自然教育、色彩心理学教育には、このような対象的思惟から発達する創造力や、主観性と客観性の両方を培うための観照的的態度が、子どもたちや大人にも育まれる可能性に満ちていると考えています。筆者は、日本色彩心理学研究所の開催する色彩環理論や色彩自然学講座を実施しながら、色彩を自然の原理から見つめ学ぶことで、学習する者たちの心にある「内なる自然」を豊かに耕すことを目指しています。


 色彩を本質的に知る道の上にたつと、「私」は「私」の全てを総動員して色との対話に向かうことになります。色を知り、その本質へと接近する際に使う私の部分は、「意識」だけではありません。「半意識」も使うし、「無意識」も、「魂」も「自己全体」も使っていることになります。
近代科学の成功により、日常的に「自我意識」を酷使して生きなければならない現代だからこそ、このような色彩教育の機会をもって、色からイメージの働きにむかい、「私」であることを超えた存在の全体をつかって、創作活動をする時間をもつこと、そしてそのことから、自分がほんとうに思うこと、感じることがなんなのかにフォーカスすることが、ひとりひとりがその人の人生を生きること、その人自身を生き抜くためには、必要であると考えています。

色彩によせて、「私」の全体を活性し育むことにより、人間力が豊かになります。

色彩自然教育のになうこと

色彩自然教育は、以下のことに貢献すると考えます。

☑️ 色を自然の在り方や循環学として学ぶことで、創造性豊かな自己を発見することにつながる
☑️ 自然の一部として自分自身をとらえる力がつき、逞しい生きる活動につながる
☑️ 想像力が育まれ、差異を認める心、自己を肯定する心が育つ

色彩を学ぶことは、自然にあるあらゆる生命を学ぶことにも結ばれます。
どの生命にどんなドラマがあり、私という生命にどのような物語が与えられているのか、
感受性を豊かに保ちながら、
自己を実現してゆく逞しさや、
意味や価値を感じられる主体を育む力、そして他者や自然を我がことのように思いやれる想像力を、
色彩自然教育がもたらすことができると考えます。