色彩自然学の始まりに至るまで

色彩自然学の色彩環図
色彩自然学における色彩環図     ©️色彩自然学の部屋

 「色彩自然学」ということを始めるにいたるまで、私は15年あまり、「色彩心理学」という学問において、人間の心と色との関係、そして自然との関係性を研究していました。その探求の中で、ゲーテの『色彩論』や『形態学』に出会い、次第に「色と植物」や「色と動物」、ひいては「色と自然」、「色と生命」とのつながりに研究内容が拡大してゆきました。自然のあらゆる生命たちを包む、大きな自然の摂理を、色から学ぶことができると確信し、「色彩自然学」という学問展開をはじめました。この学は、多くの人に学ばれ、研究されるものであると強く信じ提唱するに至りました。2020年より、大学においてアカデミックな展開も始められることになりました。
 

 「色彩自然学」は、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)[1749-1832]の『色彩論』と『形態学』を礎とし、自然の色彩現象から学ぶことのできる色の本質を、『色彩環』という全体との関係性において再構築し、色のチカラにまつわる人との関係性や自然の摂理を学ぶことのできる学問です。どんなに小さな自然も、この世界で自己を実現しようとしています。自然の1つ1つの生命が、どのように絶頂へと向かっていくかということは、小自然である人間の本質を追いかけたユング(Carl Gustav Jung)[1875-1961]や、この世を表現的色彩世界であるとし、自然との関係性において人間をとらえたた空海(弘法大師)[774-835]、他にも生命について研究した先人たちや、人間の集合的物語である神話を研究した先人たちの知恵にも息づいています。それら生命の本質的研究を色彩自然学の学術領域としています。また、今後も多くの色彩研究者や自然研究者たちが関わり、開拓されてゆく分野であると信じています。

色彩研究の象徴:ニュートンとゲーテ

 日本において、色のことを学び広げようとすることにあたり、私は問題に直面しました。日本の「色彩」に対するものの見方の狭さのような、大きな影が、往々にしてあることを感じました。日本は、四季折々の色の豊かさを経験しながら、その日本の独自性を、芸術の分野では重宝しながらも、科学や学問には役に立たないものとして、軽んじてきた背景があるのではないかと思います。
それは、いくら人間が追いかけても「自然」や「脳」の神秘には接近できないことに似ていて、色には「割り切れない世界」や「究め難い神秘」が必ずついて回り、近代科学を光とする私たちには、不可解なものだからだと知りました。得体のしれないもの、理解できないものは、生活や経済に役立たないものとして、軽んじてきたことを私は実感して生きています。ただ、たとえそうであっても、「光」と「闇」という、二つの根本原理から成る自然現象は、外の世界のことだけではなく、私たちの内なる世界のことでもあります。私たちが割り切れるものだけ、見えるものだけで生きて行くことができないことは、体がよく知っています。近代科学の発展にとって邪魔になるものこそ、私たちが「生きる」という面倒臭い作業における肥やしになったり、「魂の豊かさ」という見えない部分の栄養につながるのではないでしょうか。

 世界の色の流れを辿ってみると、このことはより明らかになります。紀元前4世紀頃には、古代ギリシャで人類最初の「色彩論」がアリストテレスによって著され、自然の光と密接に関わった色彩世界観が語られ、18世紀にはニュートンによる「光学」により光が分解され、色光ということを考えることになり、我々は色のしくみを知ることになりました。このニュートンの貢献により、私たちは生活に色彩を取り入れ、楽しむことができるようになりました。この頃から、近代科学は急速に発展してゆきます。ニュートンと同時期に、ゲーテによる「光学論考」が著され、色彩が光と闇との相互作用によって生まれるという色彩の本質を学ぶことになりました。彼は続けて「形態学」や「色彩論」を著し、人間を含む「自然」というもののもつ創造力やデモーニッシュな力と人間との関係性について伝え、科学至上主義になることの警鐘として、自然を分解し、人間の都合だけで利用しようとするニュートンの光学を批判しました。

 色彩を研究することには、ニュートンとゲーテという、この2人の功績が、現代に根強く息づいているのだと思います。色彩を分解可能な色光とし、プリズム実験により色を物質的なものとして研究し、近代科学の発展に大きく貢献したニュートン。そして、色彩を光と闇との相互作用とし、あくまで自然への畏敬のもとで、自然を分断することなく、自然観察から生命の公式を見出し、生きた自然の研究に貢献したゲーテ。「色彩」を研究するには、これら2つの素晴らしい見方、考え方を統合的に見ていく力が必要なのだと私は思います。そのためには、一生かかってできるだろうか、そんな人間になれるだろうか、とも思います。

 「色彩自然学」は、ゲーテの方法論に基軸を置いている学問です。
「自然」というものの持つ力や、その創造性というものを、人間の内にも発見し、色を通して追いかけていく学問です。本物の学びであれば何を学んでいても、その学びが人間を完成へと一歩ずつ近づけてゆくことが同時に起こると思います。そういった意味でも、これは「色彩人間学」でもあるのだと、私は感じています。

筆者の研究活動の変遷

 私は長年、日本色彩心理学研究所に籍を置き、16年以上にわたり「色彩心理学」の研究を続けてきました。そして、人間の心ということを研究するにあたり、内的世界と外的世界が色を通して行き交っていることを知り、大自然と小自然の呼応に心を震わせ、もっと大きな分野で色を捉えていく学びを「色彩自然学」という分野を開こうと決意しました。「生命」という点で学べることにおいては、木であろうが、虫であろうが、あらゆる自然から「私」の生き方や、力、在り方までも学ぶことができます。この色彩自然学も同じように、「黄」や「紫」のような色を宿す自然から、多様な自然の在り方や力や動きが学べ、それは外に起こっている自然ではなく、「私」という人間の内で起こる自然のこととして学び進めることができます。

日本における「色彩心理学」という学問は、この10年で岐路を迎えたように私は考えています。色を科学するという分野に大きく針が触れたのだと思います。このことにより、「色を心理学的に学ぶ」ということが、もう一方で問われはじめているように思います。

色とヒトの心理を結びつけることは、色彩ということを「光」と「闇」の出会いや葛藤ととらえ、「意識」や「無意識」、「自我」や「魂」、「自己」などの心の諸要素と、それらがどのような関わりをもっているかということの中で行われます。そのためには、「意識」や「無意識」がどのように人間に働いているかということや、人間が成熟していく上で心、すなわち「自我意識」がどのような発達をし、「無意識」がそれに対してどのような変遷をもってゆくのかといったこと、また、それらと色彩との関わりが探求されるべきだと考えます。各色ごとに、チカラや意味があり、ヒトに与える影響が違うことは、昨今さまざまな情報が便利に得られるようになりましたが、「なぜそのような影響を与えると考えられるのか?」という探求を、深層心理学的見地から進めることができるものが、本来の「色彩心理学」という学だと筆者は考えていました。

例えば、「青いふりかけはどうしてダイエット効果があるのか」という問いに対し、考察するには、心理学的には2つの方向があります。実験心理学的に緊張弛緩度や心拍数、波長や明度などを計測して、数値的に検証する方向と、深層心理学的に青にまつわる人間のイメージの世界を辿ることで、青のもたらす普遍的な性質を見出す方向です。今やどちらも「色彩心理学」という分野にあるようですが、こうなると学ぶ側の混乱が避けられません。

 前述のお題に対して、私の専門では次のように接近してゆきます。
色彩(この場合、青)やそれに含まれるイメージからもたらされる心の働きは、「私」固有のものから、「私」であることを超えた集合的なものまであると考えられます。色のもつ象徴性において、古代からつきあってきた人類と自然の色彩印象などもふまえ、個を通りながら、深く潜り込んだところにある集合的、本質的なものを見つけ、その根っこから現代の社会現象を検証することが、私の研究分野です。この場合、青本来にある「闇なるもの」とそれとは対極の「食べる」という行為との関係性が、考察される内容になると考えられます。

生き物を知るように色を学ぼう

 「色彩は生きている」とゲーテが言ったように、自然の営みに沿った色彩の創造的な力は、生き物を知るように知られてゆくものだと筆者は考えます。部分から全体へと学ぶこともでき、花からヒトへと学ぶこともできるものとして、色彩自然学という分野を開拓しながら、色彩に込められた自然の摂理や自然の一部として生きるということの真理を学びとる深さが息づき続けるよう、大宇宙である自然から学び続けたいと考えています。