こんにちは校長のミッキーです。

色と自然とこころを育むためのコミュニティー〈色庭〉が4月末にリニューアルしてから、はじめての勉強会ということを8月12日にやりました。

勉強し合える時間というのは、たとえ何人であっても「新しいものに出会っていこう」という意気込みがあるので、充実した時間になってゆくことを感じています。
”外からやってきたかどうか”と感じることも鈍感になっている情報化社会が生み出すものごとは、自分とは切り離して無関係に感じやすいものだと私は思っています。でも、関心ごとを1つ招き入れてみて、そのことにたいする考えや感じ方をああだこうだ巡らせて再発見していくと、あっという間に自分ごとのようになって私たちの中を流れていきます。そしてまたその自分ごとを通った奥深くには、自分を超えて、人類ごとに感じることもでてきます。

そのような厚い層にもぐりこんでみて、発見できることが自分の感じ方やものの見方を押し広げていく。色や自然やこころにまつわる勉強会ではそうしたことが濃密に行えるのがいいなと思います。

今回は、”男性性”ということを探究する時間をもってみました。
性の多様性が叫ばれる昨今だから、”触れない”のはなにかちょっと違うのではないかと思います。だからこそ考えてみる、触れてみる、ということのほうが自然な成り行きなのではないでしょうか。

自然に還してこれを考える時、私たちが多様であることの元には二極化した(極端に引き裂かれた)エネルギーが自然とあることに気づきます。それらがさまざまな塩梅で混ざり合ったり、結び合ったりして作り上げる表情の数々が、”多様”であることに気づきます。

男性性、女性性ということを知っていくためには、分けて考えて際立たせていくことが必要で、それによりそれらが、一人の個の中では、分けられないほどに絡み合っているものであることにも気づいていけます。
神話に誕生する男神や、童話などに登場する男性的な存在には、古くから変わることのない行動様式のようなものが息づいています。そんな彼らを辿ってみると、私たちの心の中に住む男をくすぐったり逆なでていくことも、そこには内なる女が関わっていることも、それぞれの今を生きている私たちは感じることができます。

私がこの勉強会で一緒に共有したかったのは、根源的なところから考えたときに、私たちの男性性がもつ宿命や物語のことと、そんな男性性も間違いなく”自分ごと”であるということでした。そしてそれと同じように、女性性も自分ごとであるはずです。

またみんなと学びあいたい、 このような時間を大切にしたいと思いました。
ご参加いただいた方々ありがとうございました。

勉強会風景