2023年が始まって、はや4ヶ月もたった。
ついこないだの正月、
この地では稀に見る積雪の朝をむかえ、
鳴り響くクラクションの音に
正直、「この一年ちゃんと生き抜けるだろうか。
生きていけるだろうか。」
と不安がつのった。
種に翼が生えていたり、
種に冠毛がついていたり、
冬枯れの褐色のなか、
カイロを片手に
それを観察する自分があった。
今、春風がこうやって強く吹き付けるたびに、
その大風を待っていたかのように
種たちが、
高く舞い、飛来している。
今あるところより
遠くのどこかに降りたそのころには、
嘘みたいに
恵の雨が降ってきて、
緑が始まっている。
季節はほんとうに私たちを巡らせてくれていて。
いつも
抵抗してしまったり疑ってしまったりしていたのは
私のほうではなかったか。
「今」を重ねる。
生き、生かされていてる呼吸は
見えたり見えなかったりするけれど
「今」というこの瞬間には
宇宙との関わりが宿っている。
今日雨が降るなら、
それに身を委ねて
雨のような1日を過ごそう。
もし涙がでることがあるなら
その涙のような1日を過ごそう。
目的地や成長を目指すことではなく、
「ここに在る」ことの中に鎮座する。
光が届かないところで
「こと」をおおらかにゆったりと動かしてきた
古くからおもかげを
「私」としてゆくために。