やっぱり色彩を学問するということは、批判的だったり相手にされないことも多く、
何度向かい風にあおうと、思い直す。
心と体が生き返るような色彩教育が、色だからこそできるはずだ。
自然という観点から、”自然”と”人”とをもう一度結び直すように。
それぞれの発見で湧き立つような色の輪を、私はやっぱり広げていきたい。
という話を今から少し書かせてもらいます。

私はほんとうに子どものころから、
どうしようもなく”自然”に向かっていたし、
”自然”から離れられなかったのだと思う。

隙を見つけては外に出て土をほじくって、ミミズを見つけたり、
隙を見つけては泥団子を作っていたり、
隙を見つけては通学路のつつじの花の蜜を吸いまくっていたり、
隙を見つけては人の家のはたに生えている椿のつぼみを、1層ずつ剥いて匂いをかいでみたり
隙をみつけては地蜘蛛と呼ばれていた蜘蛛を袋ごと取り出して興奮したり

落花生の花、中央部がピーナッツの形になっている!
横から見た落花生の花

たとえどんな都会のコンクリートに囲まれたところでも、子どもという生き物はどうにも自然とつながってしまうもので、それこそ無意識やら本能やらの領域とされるものの引力で、自然界のいろいろと響き合うようにできていると思う。

風になったり、土になったり、花になったり…ができてしまう。

大人になるにつれて、そこから線をひいて、離れていく。
そこが私は、どうにもスムーズにはいかなかった。そんな人がいるんではないだろうか。

私は過保護に育てられたわけではないけれど、私がかつてそうだったように、子どもたちがいつでも大人たちの決めていることの隙間をぬって、何かを探していることは知っている。

私は中学の多感な時期に、起立性調節障害?という不可解なものに、心身ともにまいったことがあった。朝起きたくても起きられない、食べたくても食べれない、体が私の都合をきいてくれない。
気持ちと体が裏腹で、どうしていいかわからない。
学校に行って、帰ってくるのがやっとの日は、ドアを開けて、玄関のところで、倒れ込んでしまう。
そういうときは肩で息をしていたし、呼吸がうまくできていなかったことを思い出す。
今もパニックになるときは、その名残りがでてくる。

思えば、自分の器にふさわしくない責任のあることをやっていた。阪神淡路大震災も関係していた。誰かが決めた”ねばならない”が私の”ねばならない”になり、自分自身を追い詰めていたように思う。

自然というのは、正しさがない。
このことは、誰も知っているのかもしれないけれど、私にとっての大発見だった。

夏は緑と赤の野菜が多い
とうもろこし!

私にもきっと正しさはない。そのことが私の軸のようなものを癒したように思う。
私の生き方にも、正しい道などない。父や母の生き方にも同様に。
誰かが諭す”道”が私にとっての”道”になるわけでもない。

そういう個人個人にアレンジメントされている道のようなものがある。
それこそ自然の虫や花は、そのアレンジメントされていく”道”のようなものを見せてくれている。
私はそれぞれに激しく共感し、勇気づけられてきた。

私にはなんの取り柄もない。
それこそ、自然を追いかけることしかできない。
でも、この日本という足元でこれからAI化が進むらしい、だからこそ
もう片方の車輪として、古来からあったはずの”自然とともに生きる心”を、
色彩自然学から得られる色彩教育として広げ灯していきたいと強く思っています。

どうかこれを読んでいるみなさん、力を貸してください。
一緒に何かやれそうな人はぜひメッセージください。なにか一緒にやりましょう。
当方、小さな非営利法人なので、財力はありません。
でも、アイデアや実践経験は、20年以上重ねてきたと思います。

大学でのグループワーク
学生たちが描いてくれた”月”の絵