色育士の研修が今回で32回目を迎えた。

そろそろ色育士®️のホームページなども整えていかないといけないかなと思うこの頃。
それを私がやっていいものかどうかと考えあぐねてもいるこの頃。

彼らは地道に、”自分自身”ということからまず取り組み、
自分が色や自然において体験してきたこと、
自分にそれが必要だったと確信したことから
それぞれに自分の場というものを生み出そうとしている。

活動報告も盛んになってきたように思う。

私は、コミュニティーなんて運営できると思っていなかったし、
今だってそれを上手に運営できているとも思っていない。

でも、この災害と災害の間を生きている
明日もわからない私たちひとりひとりが、
今この瞬間何をしようということを考えたとき、
マンパワーを磨いて信じていくということが大切だと思った。

自然はいつでも作用してくる。
それは悪意も善意もなく、ただ作用してくるものだ。

これだけ自然を破壊してきてしまった私たちに、
きっとこれから地球として、宇宙としてのさまざまな帳尻合わせがやってくるだろうと思う。
それは、もうすでに震災、津波、感染症、異常気象のような形でやってきているように。

それは私たちのコントロールを超えたところにあるし
圧倒的な力をもって、私たちの生活を変えてきた。

少し先の未来で、
たとえどんな出来事がおきても、
それを防ぐ、避ける、ということは不可能で、
なんとかそれを抱き抱えてでも生きられる「心」というものを
私たちはいかようにか育くんでいくべきなのだろうと思った。

それをつなぐものが、
私たち色育士にとっては「色」だと思っている。

一人の人間が、矛盾に満ちた自分自身にも気づき、
周りとの関係性の中で自分を許しながら生き抜くということに
「色」とともにある時間は、力を貸してくれる。

それは色が自然が語ることばだからだ。
自然がもつ、やり方だからだと思う。

太陽を描く時間を色育士たちで持ちながら、
太陽ということに対する1つの固定的な見方が
自分自身の内なる太陽を映し出していることを知る。

そこにコミュニティーという学び場や修行場は、
互いの心の少し深いところを照らし合いながら
感じ方に深化を促し、自分の宇宙と他の宇宙の結びつきを見せてくれる。

太陽の研修をした次の日に、満月がやってきた。
アメリカ先住民の風習(農事暦)にはストロベリームーンとされている満月だった。

月は太陽の光を反射して佇んでいる。
こうやって見れば見るほど「自ら光っている」というよりは「映し出している」姿が染み入ってくる。
闇の中ですら、太陽のおもかげがずっと生きている。

カメラを片手に月をのぞいたり、裸眼でぼーっと月を眺めながら
色育士のみんなは今何をしているのだろうなとふと思ったりした。
いつか一緒にこういう月を眺めたりできる時がくるといいなと思いながら。

このコミュニティーにいる彼らは
私の不出来もあって、思考することの葛藤力や矛盾を抱えていくことの忍耐力をいつも鍛えられる
そんなコミュニティーではないかとおもう。

彼らの心は間違いなく、自分を生きる物語が明暗まで豊かだし、
どう転んでもそれに巻き込まれることができ、
巻き込まれた中で何かを見て、何かを受け止めようとする気概があるし、
人間らしい心を自然とともに育み持っている人たちだと思う。

心を土壌のように耕し続けながら。

彼らが足元でできる活動してくれていること、
それは彼ら自身がやらずにいられない活動なのだと思っているが、
それがどれだけ小さな活動であっても、
私の生きる灯火でもあると勝手ながら感じ、とてもあたたかく感謝している。

色彩自然学の学校代表 髙橋水木