髙橋水木 代表/色彩自然学者/色彩心理学者

Mizuki Takahashi

4年制芸術大学卒業後、日本色彩心理学研究所に17年勤務。子どもから大人まで色彩表現創作活動による心理療法や心理支援活動に従事する。日本色彩心理学研究所代表に就任後、一般社団法人色彩自然学の学校創立。色彩自然学、色彩心理学、自然色彩学など、色と自然と人間に関わる色彩教育に携わり、色彩から学ぶことのできる自然循環学を発信することで、自然と共に生きるという人類の課題に挑む。

[ 研究分野 ]
・色彩と元型(ユング心理学)の連関 ・ゲーテの色彩環理論における自然循環学
・色彩表現療法における色彩心理学 ・色の本質と自然


じめまして。
 一般社団法人 色彩自然学の学校の代表をしています高橋水木(たかはし みずき)です。みなさんからは「ミッキー先生」とニックネームで呼ばれています。よろしくお願いします。

私は2004年から、ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe、1749-1832)という人の残した『形態学』という書物に魅了され、中でも、自然のあらゆる生命たちが与えられた時間の中で、「どのように自己を実現してゆくか」、「どのように自分という存在を完成へと向けていくか」ということに、”色彩”の「動き」や「変遷」が関わると知り、彼が残した『色彩論』についても研究するようになりました。
日本の色彩教育に疑問を抱いていていた私は、自然の色というものは固定的なものではなく、生き動いて移り変わっていくものであるということに感銘を受けました。色というものは、自然の動きそのものなのだなと思い、今もなお尽きない自然の学びを提供してくれる『色彩論』や『形態学』の研究を続けています。
次第に、動植物だけでなく、自然の一部である人間が本質的に発している色、経験する色、ということにも興味が及び、人間の本質についての研究を残したユング(Carl Gustav Jung、1875-1961)の心理学を学びながら、心理学と自然学の接点を見出し、色と自然と人間の心ということを無限の生命力として動的、かつ円環的、発展的に捉えてゆけるような色の本質学を次へと残してゆきたいと思いました。

私は、この「色彩自然学の学校」を始める前に、芸術大学を卒業後、色を扱う心理支援の現場を15年実践させてもらいました。私の勉強してきた分野は、「色彩自然学」「色彩心理学」「自然色彩学」「色彩自然哲学」と呼ばれています。私は自分の携わる学術領域の名称については、正直に言うと無頓着でわかりませんでした。それは、研究や学びをする自分が「分類」ということからは自由でありたいと願っていたからだと思います。私がやっていることは、先人たちのさまざまな知恵や文献を勉強させてもらいながら、自分の現場経験や理論と解明統合してゆく作業です。学として分類されることのは、それを学んだ客観的な視点をもつ人たちの判断であるべきだと思っています。私のもとへ学びにきた方々は、なんの学問をやっている人なんだ?というような混乱もあるかもしれませんが、それはこのような理由から了解いただけたらと思っています。
そういった中で、2021年現在、「色彩自然学」と呼ばれることが、私にはしっくりくると現時点で感じられてきました。色の本質を追いかけるこのような分野は、自然の全体性を把握する「自然学」だとゲーテも言っていました。

色の本質を学ぶことは、光なるものと闇なるもののダイナミズムにより生まれる「自然の多様性の学び」です。「自然」がどのような組み上がり方をして、多様な姿を表現しながら絶頂へとむかい、生命のドラマをつないでゆくか。どのように一歩ずつ梯子をのぼり、どのような色彩を体験するのか。そのようなことが色という表現方法で「自然が語ることば」として伝わってくるのだと思います。

また、人間に与えられている「内なる自然」ということについても、分析心理学の開祖であるユング博士の「元型」研究は、色の象徴や根源的なイメージを理解することに必要不可欠な学びだと考えています。私は無意識を意識や自我との関わりから考えることを重んじたユング心理学の研究家でもありたいと願っています。
そういった人間を小自然として捉えた、自然の一部としての逞しい生命のドラマを、「色彩自然学」として現代社会や教育に生かせるよう発信し、同志たちとともに色彩教育の一端を担いたいと思っています。

この仕事を始めたきっかけについて

がこの仕事を始めたきっかけは、芸術大学での自己表現の多様さや重要性を経験し、前日本色彩心理学研究所にて、長年、不登校、発達障害やいじめの問題を抱えた子どもたちの、数々の色遊びの現場、色表現の現場を経験させていただいたことからです。そしてそれは、大人の方にも、色を使った自己表現と自己対話の現場が開かれてゆくことに結ばれました。
大人も子どもも、自分を自由に表現し、ありのままに自分を受け止めることが不足していることを感じました。
内なる「自然」というものが、損なわれてしまっていることが、この近大科学の発展のための大きな代償なのではないかと感じるようになりました。「内なる自然」は、私たちを創造性へと導いてくれます。葛藤する力を与えてくれ、自分が自分を生き抜くための力を作り続けてくれます。

には、言葉ではできないこと、言葉では届かないことが表現できます。不登校の子どもたちや、言葉で表現することが苦手な状況にある方は、そういった色や音のような「イメージ言語」にずいぶん救われて生きています。
色を生き生きと感じて生きることは、「魂」が喜ぶ栄養でもあると思います。

人一人に向き合うことができる心理支援の現場は、しんどいけれどとてもドラマティックな現場でした。生命のもつ困難さや課題は、ひとりひとり違います。それを解決できなくとも、彼ら自身が抱え持ってゆけるようになろうと前を向くことができるのは、色によって人間の自然力が回復できるからだと考えます。

でも、そのような心理支援の現場を開くことだけでは、日本の色への価値観は前進しないし、内なる自然を豊かにできる色彩教育にはなってゆかないと感じました。
色がどれだけ、人の心を豊かに、逞しく育んでくれるものかを、しっかり伝えられる人間になりたいと、私は思いました。それが私がこの小さな学校をやろうと思ったきっかけです。

色彩心理学を含みながら「色彩自然学」への発展

彩心理学」についてですが、私は前日本色彩心理学研究所にて、15年以上色彩心理学の研究をしていました。色彩心理学という分野は今、様々な考え方や学び方で、多くの場所で展開されています。
根っこは同じものであっても、多様な枝葉が追求されることで、複雑になっているのかもしれません。そんな中で、本来の「イメージを扱う心理学」であるという姿は、保つことが難しくなっている現状を感じます。

私は何が、正しいや間違っていると言うつもりはありませんし、わかりません。
ただ、近代発展に大きな貢献を果たしたニュートン的色彩世界観も、画家や自然研究者、心理学者に支持されてきたゲーテ的色彩世界観も、色という壮大なテーマを解明しようとする色彩研究の二大車輪なのだということだけは、間違いないと思っています。

私という人間は、そしてこの学校も、ゲーテ的色彩世界観に、色の源泉があることを見出し、その視座を研究してきました。何年たって学んでも、いつも新しく感じながら、学び続けられるものが「本質の学び」というものだと思っています。色を扱うということは、人間の心の自然を扱うことだという自然とともにある色の学びを、「色彩自然学」として、今まで長年やってきた色彩心理学の知恵を含ませてもらいながら、ここから発信してゆきたいと思っています。

色彩の本質的な力を学ぶ楽しさは、ひとりひとりの世界を広げ、しなやかに逞しくしてくれるものです。

ぜひ、学びにいらしてください。

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