日頃動かぬものが
私の手をひき、動き出すことがある。
知らないところで成長したり
動き出したりしていることのほうが
ほんとうは多いのだろうと思う。
先日、ここにツグミという鳥がいた。
動かずに
まっすぐに空を見つめていた。
今は亡き父親のことが
なぜかふと頭をよぎって。
そのおもかげを今日も
ここにみにきた。
この写真をみたって、
誰が見ても、何もいないし、草でも撮ったのかと思うだろうけど、
ツグミの横顔や温度、眼差しやおもかげなんかが
私には見える。
父までひきつれて。
人が一人生き抜くことは生死にまたがり壮絶だ。
自分を生きぬくために何が必要かと考えたとき、
こういう私にしか意味のない、価値のない場所が
必要なのかもしれない。
他の誰の意味や価値に関わりなく、
「私」という一人の人間にとって、
何かとのつながりやおもかげを感じることのできる
時間や場所を。
それは過去も未来も今も全部そこにあって。
心で物語るしかない場所だから。