——色彩自然学と自然農のあいだで

はじめに
土に触れるようになってから、私の中で少しずつ変わってきたことがある。
それは、”野菜の育て方が少しずつ上手くなった”、という表面上のことだけではない。
まるで、これはかつての”錬金術”に似たようなものかもしれず、
”心”が育っていくこと、や、私自身の”意識”の広がりや変化が、伴っていくことだった。
季節の移ろいを、さまざまな自然から感じられる感度が鋭くなり、
草の伸び方やその音、土の湿り気やその香り、
木々や石がどのように在るのか、
雨の振り方や雨粒の跳ね返り方、
風の向きや風が運ぶもの、
空の色や雲の形、月の位置や満ち欠け、
天候の兆し、
我々をとりまく自然のひとつひとつの移ろいに、心が向くようになった。
そして何より、自然と呼応し、土や生態系の在り方に心を配ることは、
”人の心”を、”土”と同じように育んでいくものなのではないかと感じるようになった。
私は「色彩自然学」という学びを伝えている。
ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)の『形態学』と『色彩論』をもとに、色を、単なる知識や心理分析のツールとしてではなく、自然界の働きや、いのちの巡り、人を含む生ける生けるものたちが自己へと至る過程として見つめる学びだ。
そして数年前から、無農薬の自然農にも取り組むようになった。
土壌環境を配慮し土を耕しすぎず、草や虫や微生物の働きも含めて、畑全体をひとつの生きた世界として見つめる農。
最初は、色彩自然学と自然農は、別々の実践のように思っていた。
けれど畑に通い、土に触れ、季節ごとに巡り、死と再生をくり返すさまざまな自然のあり方を見つけるうちに、この二つは深いところでつながっているのだと感じるようになった。
土を育てること。
色を感じること。
自然と共に生きること。
そして、人の心が本来の力を取り戻していくこと。
それらは、別々のものではなかった。
この記事では、私が自然農を続ける中で感じてきたこと、そして色彩自然学と土や農の世界がどのようにつながっているのかを、自己紹介を兼ねて書いてみたいと思う。
1. なぜ、土に惹かれるようになったのか

私が土に惹かれるようになった背景には、地球から土が失われていくことへの危機感があった。
”15秒でサッカーコート1枚分の割合で土壌が失われている”
土壌研究者の藤井一至さんが記したこの事実は、母なる大地の危機であり、もう「遠くのこと」では済ませられないことだと思った。
人間は便利さや効率を求める中で、自然を管理し、切り崩し、壊してきた。
森が失われ、土が痩せ、微生物の働きが弱まり、いのちを支える土台そのものが失われていく。
土は、ただの地面ではない。
土は、いのちが生まれ、還り、また新しく生まれる場所である。
枯れた草も、落ち葉も、虫の亡骸も、時間をかけて分解され、腐植となり、次のいのちを育む力にまた戻っていく。
形があるものが、形がないものになっていく。そして形がないものが、形があるものとして生まれ出でていく。
そのような自然の宿命的な循環を見ていると、人間の心にも同じことが言えるのではないかと思った。
悲しみや失敗や、うまく言葉にならなかった経験も、ただ捨てられるものではない。
時間をかけて心の土になっていくのかもしれない。
すぐに答えを出さなくても、すぐに前向きになれなくても、内側でゆっくりと分解され、いつか新しい感性や優しさや活力に変わっていく。
私が17年間従事していた心理支援の現場が、まさしくそのようだった。
土を育てるということは、そういう自然時間への信頼を回復することでもあった。
2. 自然農で学んだ「待つ」ということ

自然農を始めてから、私は「待つ」ということを何度も学ばされた。