色育士を始動してから3年経ち、
テレビをつければ傷つくような世の中で、
「仲間と共に歩みたい」と一層強く願うようになった。

一年をかけて、公認色育士を養成している。
彼らはこの取り組みをライフワークとしてくれる仲間だ。

自分ごととして、歩んでいける自分の範囲というのは、
自覚的である人ほど、そう広くはない。
私はもう一度それを見直し、
大切な人たちを含む自分の足場を、真剣に、
そして楽しく、取り組む必要があると感じている。

それがもし個人レベルでできていくなら、
世界はきっとこんな争いを
今のようにまでこじらせることがないと信じたいからだ。

争っても和解できるような足場を
きっと創っていかねば、いや再発見していかねばならない。

「私の声が大きくなれば、彼らの声は小さくなる」
そんな必然であることも、
教える立場に立ってみると
わからなくなってしまっていた。
教えることに囚われていると、
本当の意味で教えることなどできなくなる。
いい塩梅で、囚われて解放されていなければならない。
そんないい塩梅は、まだまだ私には届かない。

私は、一筋縄ではいかない現場
教えることでは教えられない現場をいつも持たされている。
それは、とてつもなく有難いことだと思う。

何度となく、小さく、時に大きく、何かを諦めなければならなくなった。
その分、ひょっとして私は自分の中にある
自分ではない何かに頼ってこれたのかもしれない。
暗いじめじめしたトンネルの中で、
何度も眠り、泥をすすって、
それでもやるか?と燻っている火の粉が
どこからか吹いてきた風に煽られて舞いだして、
痛々しくもまた歩き出すことができる。
使命感のある炎というのは、ちょっとやそっとではなくなりはしない。
どれだけ自分がささやかな宇宙のことを伝えているか、
そのことに自覚があるか。
でも同時に、
ささやかさや、ローカルにこそ、
本当の意味での世界性や普遍性といったものが息づいていると
私は思ってもいる。

私自体が矛盾であることを、
生きていなければ、自然など伝えられはしない。

私が知る物語では、魔界から蘇る人間は、いつも死神を連れて戻ってくる。
私もある意味で死神を連れて、
今現実でまた立ち直そうとしているのかもしれない。

「色の本質マスター講座」と「公認色育士養成コース」の進捗状況

社会人オンライン講座「色の本質マスター講座」は、第9期生をむかえている。
彼女たちとの出会いは、私に大きな指標を与えてくれている。
学び合うことで言葉を出し合い、感じていることの奥底に何が流れているのかを
照らしあうことが楽しく、発見や喜びになる。

わたしたちひとりひとりの生きる活動に、重たいものも軽いものも、
光るものも暗がりのものも、両方が流れ込んでいる。
そのことの意味や価値を、やっぱり考え語り合うことになる。
語り合い、考え尽くされたものは、
心の中の、おさまるべきところに、すっとおさまっていくことが起こる。

色の本質マスター講座は、
次期から動画学習をとりいれ、
間で数回リアルZOOM講座で学べるシステムを取り入れようと思っている。

学びたい方は、ぜひ声をあげて、一緒に学んで、できることなら色や自然や心のことを伝える活動を一緒にしてほしい。

公認色育士養成コースは、あっという間にケーススタディの第3回目を迎えている。

互いの作品をもって対話し、分析し合うこと、そしてその分析内容のスーパビジョンをもらうことで、
自分自身の考えが及ぶ範囲や、相手の心に添える姿勢が、柔軟に成長していく。

私たちがやっていることは心理支援の在り方の模索であるけれど、
色の専門家である以上、そして内なる自然ということを相手にする以上は、
私たちの守備範囲の中で、できることの型を、何度も何度も通らなければならないと思う。

現場で何かがあってとき、相談できる仲間との信頼関係を気づいていく。
色育士たちの自治へのチャレンジが、来年から始まっていくことを願いながら。

動画を編集し、UPすることで、
何度も聞ける環境を整える。
これは、もっとも面倒で手間がかかることだけれど、
自分が自分の言っている言葉に責任をもつ機会にもなり、
面倒なことほど、大切な作業なのだと思ってやり続けている。

畑のこと

畑を始めているのだけれど、
畑というのは限りなく多様なものがあって、
それらがほんとうに色々と絡みあっている。
でも、そんな絡み合いの中には、ある調和があって。それが絶妙な感じがする。

まるで機械ではうまくいかない世界だ。

またそれは、別のはなしとして報告しようと思う。