大学での後期授業の担当が始まった。

今期も神戸から奈良まで、おおかた2時間くらいかけて向かうことになる。

自分が大学に通っている間にまったく気づかないのもどうかと思うが、
たいていの大学が、勉学に集中できるよう、自然がたくさんある奥地に立っている。
周りに遊び場もないし、お店もない。

こういった奥地ということを思うと、「内界」においては、心の奥地とも呼応しているだろうから、
自分自身と向き合うにはほんとうにいいロケーションなんだろうと思う。

それでも、20歳くらいの私自身が自分自身と向き合えるか、というと、
まだまだそうするには、弱いというか、
何かが足りていないというか、幼いというか。
そんな感じも受ける。

大学を建てるには、大きな土地がいるから、
奥地や自然が多い場所を切り開くことになるのかもしれないけれど、
自然の中にこういう学び場が在るというのは、
ほんとうに清々しいものだと思うし、恵まれていることなのだと思う。

夜がしっかりくる。
闇に包まれる。
目覚ましとかじゃなく、
日が昇って、
目が覚めることがある。
鳥が鳴いてる声で
朝を感じて、
今もこおろぎがよく鳴いているから
秋を聴いている。

こういった環境では、外から起こることと会話をする感応する力のようなものが
育まれていくように思う。

さて、大学を受け持つにあたって、いつも思うこと。

『自分が大学時代に、どんなことを勉強したかっただろう。』

またこの2023年の大学を受け持つ自分にあたって、
いのちって、長いようで、明日何があるかわからないという思いが
ひとしお強くなってきた。

そんなことを1つ1つあげていると、
私の心は自ずと決まってきて、
「やるしかないな」、となる。

正直、
正しい道など、それぞれにあるのだろうし、
私がそう思うことを、そう思わない人なんて当たり前にある。

私は、正しいと信じて、伝えること、一緒に考えることしかできないのだろうと思う。
たとえ数人にしか届かないことがあったとしても、
先人たちが紡いできたそれを引用しながら、
色彩自然学の調べにのせさせてもらって、
危うさをいつでも孕みながら、
それでもまっすぐに語っていく。

大学の授業をやる日は、
家に帰ると燃え尽きた灰のようになっている。
170名に向かっていると言うことは、
私にとってそういうことである。

私自身が、彼らとの関係に入らなければ、
一体何が始まるというのだろう。
彼らにたくさん考えてもらいたい。
そして考えてもらったことを、
ぜひ教えてもらいたい。