知らぬ間にそれは呪文のように
自分の中を縛った。
「辞めてはいけない」
「しんどくても続けなければいけない」
「甘えてはいけない」
「自分はダメな人間なんだ」
そういうふうに追い詰めたのは、
ほかでもない、自分の中の自分だった。
人のせいにはしては、何も変わっていかない。
だから当事者になる努力はしたいけれど、
やっぱり私たちは資本主義の風景に
長い間てなづけられてきたのだろう。
その代償として、
自然が叫んでいる。
結果、私のなかの本能が、
何かを叫び続けている。

カワセミは
川に沿って、飛んでいく。
鳥だとかろうじてわかるくらいの速度で。
矢のようにまっすぐ。
きらっと光る青い宝石みたいで、
追いかけることに夢中になった。
10年くらい前、
思い込んでいた世界はとても窮屈で。
でも、全く別の知らない世界が、すぐそこの川に広がっている。
それを知れるきっかけは人それぞれなのだろうと思う。
私のきっかけの1つはきっと鳥だった。
鳥は太古からの生物形態の変化を追いかける上でも
重要な位置にいるという。
鳥によっては、まだ恐竜に思える鳥もある。
生きていることを緩めて、
生かされていることに気づいて。
1つの小さな学び舎と
有機農を修行する自分は、
想像していた未来とは随分違っていたけれど、
心は置いてけぼりにしていない気がしている。

自分がまだ何者かなんてわからないし、
生きるということがどんなものかなんかわからないけれど、
きっとそんなことはわからないまま終わるのかもしれないけれど
父さんはどうだったんだろう。もっと話がしたかった。
自分の家族の食べ物は、大地からいただいて生きていきたい。
農的な暮らしが大切になるんじゃないか。
科学技術を駆使して育成管理できる野菜や、クローンの肉、AI化。
その未来をもし
人間が選択して歩む道なら、別に否定する気持ちはない。
ただ自分は、どうしたいか。
それは行為するしかないんだろうと思う。

そんなふうに思いながら、散歩をしていると、
ふと向こう岸でカワセミが鳴いた。
私は耳だけはよくて、年々目は悪くなってきているけれど、鳴き声だけは聞き漏らさない自信がある。
目をこらして向こう岸を探すと、
私の正面で、木にとまって休んでいた。
ちょうど私と見合う格好で。
ただ会えるだけで、
「それでいいんだよ」と思わせてくれる存在。

理由はないけれど、
根拠もなにもないけれど、
誰にわからなくても、
自分にわかる、直観や霊感のようなもの、
そういう類のことはきっと、あって。
自分の奥深くから響き合ってしまう
そういう類のことはきっとあって。
そういう類のことは、
自分の血に近いものだと、信じて、
誰に言わずとも大切にしていいんだよ。
教え子と呼んで許されるなら、
私はきっと通りすがりの教え子たちに、
それを伝えたいのだと思った。
教え子たちのそれを、守ってやりたいのだと思った。
紙粘土で自分で作った鳥のような生き物を手で大切そうに包みながら
泣き出した生徒のことを思い出していた。