中年になると、体が重く感じられる。
今までなかった痛みやだるさ、疲れやすさが
元気や笑顔でありたい精神を
日々少しずつ蝕んでいく。こともある。
夜がしっかりくる場所。
闇にしっかり覆われていることが、体にも大切なことだと思うようになった。

若葉のような勢いでできていたことは
ままならなくなる。
その若葉だった役割から、
褐色づいた渋い役割のことを、
私はきっと知らなければならない。
その渋さの意味や価値を、
心に点さなければならない。
そうして初めて
お茶目でいられるのかもしれない。
私の生命も、どの生命も、
ひとところにずっと止まるはずはない。
変化していく自然の運び。
私の魂は、
ずっとそれを知っているはずだった。

白い服を着た人に、部分だけを見て処方されても、
なにか落ち着かない自分がいる。
その場しのぎで、あまり話しも聞いてもらえない。
根本的に何かが変わらなきゃならないことを
どこかでわかっていたのに。
心も体も、
明るいときも暗いときもあっていいんじゃないか。
若い時も、老いるときも
もっと同じくらい
楽しんだっていいんじゃないか。
苦しんだっていいんじゃないか。
その私の自然を、
まずは許そう。

自然であるということを、
できることなら私という自然を巡らせてあげたい。
拒むのではなく、
今ここを愛せるように。
全部を愛せなくても、
少しずつ、私自身に起こる変化を愛せるように。
「自然とは関係性である」とゲーテは言った。
光だけではなく、闇もないと、
自然のダイナミズムは生まれなかった。
光と闇という正反対のものが
否が応でも関係して
世界がまわっていく。
私だけの物語も、
さまざまな明るさや暗さで
彩り豊かに創られる。
自然と共に生きる。
だるいときも、しんどいときも、
私の全部で生きているという証。
私だけの物語の、長調や短調を感じながら。