最近は、人間のいろんなものの技術が進化して
「見えすぎる」という話。
カメラも意思すればどこまでもズームできるけど、
私は自分の肉眼で見えるくらいが
ちょうどいいように感じている。
不思議なものは
不思議なまま。
紐解けないままでいい。
”なんかすごいな〜”とか
”得体がしれんな〜”とか思いながら
つきあえってゆけるものがある。
そのことがやっぱり、
人間や命には
必要だと思う。
たとえば、宇宙のことも。
アルファベットや数値やアルゴリズムのようなもので
これはこうだと解説されると、
感心しながらも、
どこか冷めてしまう自分がいる。
言葉になる前の言葉があって、
葉っぱになる前の葉っぱがあって、
私になる前の私があって、
世界になるまえの世界が、きっとここにはあったはずだ。
そんなことを思っていると、今もなお
見ているもののずっと下の層から
声なき声をあげながら、
「ワンダーランドがここにあるよ」と
伝えてきている気がする。
その1つの、言葉になる前の言葉が、
そう、「太古の言葉」が、「色」なんだろうと、私は思う。