芽が出るとき、私はうずうずして頻回に見に行ってしまう。
雨風が強くなると、おろおろして、あの新芽は大丈夫なのだろうか、と見に行ってしまう。
しっかり出てきてくれました。
私の場合は、種を蒔くときは、必ず素手で思いをこめてまきます。
そして我慢活着。手のひらでぎゅっと抑えた土。
その詰まった土を、いつの間にかこうやって持ち上げて出てくるのは、すごいことだなと毎度思う。
生命だなと毎度思う。
私の畑は周囲の人々には「縄文畑」と呼ばれているそうで、驚いた。
こないだ50代くらいの男性に、
「いつもこの畑は、楽しく拝見させてもらっています。時代が違うというか、ここだけ縄文時代というか、最初見たときはインディアンかなにかなのかと思いました。」
と言われました。縄文時代・・・インディアン・・・
こういった言葉を、私はにこにことなんにも言わずにたいがい聞いているのですが、後から考えたら「バカにされていたのではないか」と思って、ん?と思うときもないこともないです。
でもバカに思われるくらいがちょうどいいではないですか。科学がそれだけ発展して、その一方でこぼれ落ちたものを拾って温め直したい人間だっていますよね。
土が、本来の土がやろうとしていることを尊重したいし、もっと知りたい。そう思うとこうなった。
いつかそんなことをその人にも話せるようになればいいと思います。
私の精神の芽も、しっかり芽吹いて我慢活着。
玉ねぎが植っているところに、赤いクローバーの花が一緒に咲きました٩( ᐛ )و