いちごの花ってこんなにきれいでしたかね。思わず、シャッターをなんども切っていました。

幾度か見たはずのものも、自分の心模様なのか、その時の光と影の加減なのか、
新たなものとして自分の眼に飛び込んでくるように思います。
自然というのは、やはり生きていて、表情をそのときそのときに応じて持っているように思います。

ピンク色の花弁でもって、キュートに咲いていました。
中にもっている黄色たちが、キャッキャっとしているように見えてきます。
花びらは、桜の花のようでした。血が通っているようにも感じられました。
この花が、また時間をかけて、いちごの実に変態していくわけですが
色彩自然学の礎となる『色彩論』を書き上げたゲーテという方は、
たった一枚の葉が、拡張と収斂のダイナミズムをもって、
茎になり、萼にり、花びらになって、実にまでなっていくまでに
変容していく過程を、ひとつひとつ追いかけた人です。

そんな人が「色」にこそ、自然の秘密が込められている。としたわけですが。
それを考えただけで、いまだにわくわくしてきます。

これはヌートリアです。

私の住む家の、すぐそばの川で、親子で生きています。
害獣と呼ばれて駆除の対象になっているようですが、
出会った時は野生な瞳で、こちらを見据えてきます。
生きるということにまっすぐな存在です。

目が合った時は、私は彼らに奥深くまで見られたような気がして、
「生きとるんか?おまえは」
のような声が聞こえてくるように感じて、
少し身が引き締まる思いがしています。

こちらは、ツマグロヒョウモンです。

羽の色が、陽光に透けて、ステンドグラスのように美しかったです。
蝶々は、出会うだけで嬉しくなります。
時折、私たちの行先を飛び回って、「こちらへおいで」と言ってくれているように感じます。

プシュケ(生命、心、魂)の象徴ともされている蝶々です。

青虫の地を這うような頃も体験し、やっと飛び立てたその世界、視野の広さには、私の憧れがあります。
どちらをもしっかり経験してきた存在です。

朝は畑仕事をするのですが、
ゾウムシやカメムシとも会います。

真珠か?と見間違うほどにきらきらした卵が葉っぱに小さくついています。
これがあのカメムシたちの卵なのだけれど、この時の私には駆除できませんでした。きれいすぎて笑。あとでばかを見るのも私なのですが。

ゾウムシは私の好きな虫です。こてんこてんと動く。まるで急がない。
動く目的も、なんだか意味がわからない。私の想像や予想できることを毎度超えてくる生き物です。
いつか「ゾウムシくん」というタイトルで、粘土でコマ送りアニメーションをつくりたいです。
色は鳥のフンのような色に擬態しています。

次で最後にします。

天然の花瓶?です。

塀に開いたコンクリートの穴であっても、茂ろうとする緑たち。少しの土が中に入っていました。

そこにでも生えようとするたくましさに、なんだか頭が下がりました。

緑というのは、新芽とか黄緑の新しいチカラもあれば、そのまっすぐにただ生きようとする強さというか、生命のダイレクトなたくましさ、本能といったことを感じさせます。

いかがでしたでしょうか。

少しでも、読んでいただけた方に、自然や色からの声をきいてもらえるようならいいなと思います。

ぜひご意見やご感想などあれば、いただけたら励みになります。

ありがとうございました。