こんにちは。色彩自然学をやっているミッキーです。
今回は「亭主関白」について考えたいと思います。
「え?なんで色彩自然学なのに”亭主関白”?」
そう思っている人も多いことでしょう。
私もそう思います。
「亭主関白」って面白いよな〜と以前から思っていたんです。
なぜなら、なかなか自然の生き物には亭主関白がいないように思うんです。
どちらかというとメスや女性が強いエピソードばかり。
マニアックですけど、よければご一緒に”亭主関白”の世界を
色と心の冒険してみましょう!
亭主関白ってなに?
亭主関白といえば。。。。。。
夫「おい、お茶がないぞ」
妻「はいはい。」
夫「おい、着替えはまだか」
妻「はいはい。」
私の亭主関白のイメージはこんな感じですが(笑)
みなさんはいかがですか?
「亭主関白とはなにか」をウィキぺディアで調べてみます。
亭主関白とは?
亭主関白(ていしゅかんぱく)とは、「亭主」が「関白」のようであるということである。亭主は夫のことであり、この言葉は亭主が関白のように家庭内で威張っている状態を指す。この逆をかかあ天下という
引用元:Wikipedia
なるほど。「亭主」が「関白」なのですね。
ところで、「白」という色名が入っている「関白」が気になるので見ておきたい。
調べますと、
「関白」とは、成人の天皇を補佐する官職で実質上の公家の最高位のこと
威力や権力の強い者のたとえとしても「関白」という言葉が使われることがあるそうです。
「白」について探ってみましょう。
関白の「白」の意味とは?
「関白」という言葉には、
「関り(あずかり)白す(もうす) 」=関与する
という意味があるそうです。
昔は「白」色が「白す」と書いて「申す」のような意味合いを持っていたんですね。
みなさんもご存知かもしれませんが、
祝詞(のりと)の時に「申す」を「白す」と書きます。
「白」は漢語で、色を表す白の意味の他に、
「明るくなる」「明らかにする」「いさぎよい(潔白)」「申す、申し上げる(敬白)」「告げる、明かす(告白)」
などの意味もあるそうです。
「白状」や「独白」などの言葉の由来でもあります。
やはり「白」には、濁りのない「明るさ」のイメージや「清さ」のイメージが宿ります。
色彩自然学でも「全き光」を示す「白」には
「正義感」や「純白」など、
神性が宿る高尚なものを、古来から多く発見してゆくことになります。
私たちが「白」をたどると
人間や生命は「神ではない」「神にはなれない」「神(完全)に近づきたかった」という
思いがこぼれてゆきます。
緊迫感・緊張感を与える白
私は以前歯医者に行ったときに、心臓がバクバクして音が口から出るほどで、困ったことがあったんです。
その歯医者さんの壁紙は、一面が「白」色でした。
道具も椅子もほとんどが白色で統一されていました。
そして真っ白な壁に、木製の壁掛け時計が1つだけ。
だんだん緊張感が増してしまって、
あまりに心臓音が大きくなってきたので、
深呼吸しながら壁掛け時計だけを見ていた思い出があります。
あれはおそらく、あまりに多くの「白」に四方八方囲まれ、
緊迫感で苦しくなったのではないかと思います。軽くパニックでした。
ああいう真っ白な場所にはせめて絵とかかけてほしかった。
こういった体験をされた方も少なくはないのではないでしょうか?
「白」は人に緊張感を与えることがあります。
少し黄色味の白を選ぶことでも、壁紙などはだいぶ和みが生まれます。
私たちは白でも黒でもないくもりの世界(中間世界)を生きていますから。
あまりに「清い」広い空間には、自分がいてはいけないような心許ない感覚が起こるのかもしれません。
また、一面が真っ白の空間に一定時間いると、自我がうまく機能しなくなり、
時間、空間、距離感、存在感、いろんなものがわからなくなって混乱することになります。
亭主関白なる心理
では、ここからは心理面における亭主関白について考えてみましょう。
亭主関白というのは、古くからある行動様式として捉えてみると、心理に関わります。
亭主関白という状態は、亭主なる存在が、奥さんに対して”母性”を投影し、
その母性的な存在に亭主が強く依存している状態と考えることができるそうです。
一見、外から見ていると怖く感じる亭主関白の状態が、
そのような亭主なる存在の心理面からやってきているのか、とその可能性を考えてみるだけで、
思い込みの世界がまた1つ増えていく、という感じがします。
いろんな情報を手にして、それを思い込んでみたり疑ってみたり、それを繰り返しながら私たちは、
何が正しいかを自分の中でわかるための旅が始まるわけです。
少し世界が面白く見えてきます。
先程の会話が、また違ったイメージで、母性に頼っている亭主なる存在みたいに聞こえてきます。
夫「おい、お茶がないぞ」
妻「はいはい。」
夫「おい、着替えはまだか」
妻「はいはい。」
「母性からの自立」ということは、どんな人間にとっても人生をかけた課題のようなところがありますが、
特に日本人は、大きな母性に包まれながら生きているところがあると考えられています。
母性からの自立について
河合隼雄先生は、日本人の母性に対する依存心の強さについて指摘されていました。
日本の「なんでもしてくれるお母ちゃん」イメージは根強いものがあるそうです。
彼は著書『魂にメスはいらない』の中で、このようなことを話されています。
腕白小僧がお母さん(妻に投影した母性)に偉そうに言っているのが亭主関白です。
お母さんからこれだけ離れたから母性から自立できたというふうには言えないですね。
引用:『魂にメスはいらない』河合隼雄・谷川俊太郎
とにかく、母性からの自立というのはとてもむずかしいことでね。
ある程度以上に自立すると、日本のカルチャーの中にはおれないと思います。
しかし、ある程度やらないと面白くないですからね。
わたしたちひとりひとり、母性からの自立ということは、
折に触れて幾度も幾度も、行われるものなのかもしれません。
自立と依存の間で揺れ動く母性との付き合い方が、とりたてて育むものもあります。
ある程度何かに依存していても自分自身をなくさない自我を育てられることにつながります。
亭主関白の動物や生物は少ない
さて最後になりますが
面白いことに、自然界の生き物たちは、亭主関白の動物や生物が非常に少ないです。
亭主関白とは逆に、メスがオスよりも強く逞しい現象が多く見受けられます。
例えば、
・ミーアキャットの世界ではメスがボスです。
・チョウチンアンコウのメスは、オス(体の小さい)を従えている
・みつばちは女王制度
これはごくごく一部のことで、自然界の野生はメス、女性が強いことがたくさん発見できます。
これらのことは自然の摂理に由来します。
そしてそれは、色の本質にも、私たちの心の本質にも実は奥底で結ばれています。
またそのことは別のコラムでお話しできたらと思います。
今回は以上です。
こういった話が好きな方は、ぜひまた読んでやってください。
ありがとうございました!