「分かるけど、言えない」こと
分かるねん、でもそれをうまく説明はできへん….
そいうことがあります。
私は、心理支援現場での経験が長く、
ご依頼をいただいてから、
大学で8年色彩心理学の分野を、
地味に教えてきました。
(童顔なので
いまだに時々生徒に間違えらながら笑)
中でも、
「無意識」というものの行為には
驚かされることがしばしばあります。
色を扱う創作現場には、
それがまっすぐによく起こります。
何気なく作った空想の生き物に
手足が多かった。しかも青い手足。
でも理由が言えない。とか
何気なく描いた太陽に
緑をぬることしか思いつかない。
でも理由が言えない。とか
この場合、理由を言えることよりも
その物語を味わい、
そこにどんな可能性が流れているかが
その人にとって大切なのですが、
その1つ1つの特徴のある表現において
作った人と無関係なものは
一切でてきません。
まるで「意識」に、気づいて欲しいこと、
取り入れて欲しいことを、
「無意識」が伝えてくれているように感じる時も
しばしばあります。
心の自然とともにやってゆく
ユング(Carl Gustav Jung)は
人間ひとりひとりがもつ無意識を
「膨大な領域」と表現し
意識は、「そのたった表皮である」と
表現しました。
この意識と無意識の対比からも
「分かるけど、言えない」
ことがあって当然なように思えてきます。
この曖昧な感じは、
私たちの心にとって「自然」なことなのだと思います。
意識という薄い表皮のしたで
底知れない巨大な営みをもつものが
無意識とするなら、
私たちに与えられた
身近な「自然」は「無意識」だということになります。
この「無意識」という「心の自然」とも
一緒にやってゆくことが
AI時代を迎えていくだろう現代人のこれからの
大きな課題になるだろうと思います。
色彩自然学は、
ゲーテの色彩論、形態学
ユングの分析心理学など
色や自然や心の本質を追いかけた先人たちの知恵が詰まった学びです。
いかなる自然のことも
自然以上に語ることなどできませんが、
自然や心を知りたければ、
色から始められます。
太陽を描く創作現場の考察
色育士の研修会では、太陽を描くことについて、
やりたいと思います🤗