履修人数220人。私の身の丈に合わない人数での大学授業がはじまりました。

私はもとからこれといって目立った特徴があるわけでなく、まるで彼らのなかにいると米粒のようです。
彼らはなんともひとりひとり個性がたっていて、発する言葉やリアクション、たまに見せてくれる表情に「ああ、いいなぁ」と刺激を受けています。私も米粒ながら、できることをめいいっぱい、じたばたと、彼らの力をかりてやるのみだと思っています。

大変な時代になってきました。
それは私がただ年を重ねて、自覚的になってきただけのことなのだろうか、いやきっとそれだけではないです。脈々と人類が自覚せずに積み上げて及ぼしてきたことが、途轍もない大きなうねりとなって自然を壊したのかもしれません。その自然が、自らを取り戻そうともがいているとするなら、昨今の悩ましい気象状況や災害、生命たちの1つ1つの在り方に変化が起こっていることのわけがわかる気がします。

つい数日前、畑で大根の芽が出ず、3度も蒔きなおしをしたおじいさんがいました。私も自分の畑で、時間をかけて見守ってきた白菜の苗たちが、植えた途端に一夜にして虫に食われ、跡形もなくなりました。それは9月の末のことでしたが、二人で鍬を投げ出し、途方に暮れて「暑いな、また30℃もあるなんて嘘みたいや。もう帰ろう、帰ってそうめん食べよ」と言い合っていました。ほんとに大変な時代になってきているのだと思います。気候がくるうと、生き物たちもくるっていきます。私たちは今こそ自然と向き合って、呼応する力を、調整していかないといけないのかもしれません。

さつまいもの花
落花生
青虫

大学では、これからいろんなことを経験するだろう彼らのその足下に、できるだけたおやかな自然が見つかるように、眼や心を磨いていきたいと思っています。清濁併せ持った、彼らの潤いがある声の1つ1つが、できるだけすぐにかき消されないよう、そう願うなら、私は口を閉じる以外ありません。彼らは彼らで考えて、自分なりの正解を見つけていける力があります。

私にできることは場を守ることだけ、ということがあるのだと思います。思いと熱をもって場を守る。その熱があれば、自ら殻をやぶって外と接していくことができていくのかもしれないことを、いつも軒先に巣をつくるツバメの親鳥が、見せてくれているように思います。

​大学がはじまるにあたり、私のあゆみも外へと向かって行きました。
カワセミとはじめて出会った河原を歩き、大きな木に会いにいきます。草がぼーぼーで、人間が腰をやすめるための木のベンチが、草の原にうもれ、生き物たちの棲家になっています。足下にはたくさんの自然があって、今を自生する彼岸花もいました。

​きっとこの木の足下には味方するものばかりではなくて、競争しようとするものも、あぐらをかいているものも、支えてくれるものも、つついてくるようなものもあるのだと思います。学生たちの足下も、本来ならそうであってほしい。私たちは、なんの危険もなく成長することなどなかったのだと思います。

​彼らが自分自身になっていこうとするための、軋む音。

それはきっと、楽しいことだけではなくて、苦しむこと、悲しむこと、切ないこと、そういった痛みの裏打ちとともに、まるごとで喜びにしていくための過程なのだと思います。

自ずからしからしむことはきっと、急がずとも、休まずに時間をかけておこってゆくことだと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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