本日は公認色育士®️になるために学びを頑張っている研修生たちの講座日でした。

この公認色育士養成コースは、はじまって3ヶ月を迎えました。

〜私たちは、なんのために色彩を専門として選んだのか。〜

公認色育士の講座を行いながら、そこに灯りをともしていこうと考えていました。

色彩の道に歩み出したことには、ひとりひとり、純粋な気持ちがありました。
色の不思議にひかれたり、色に助けられたり、身近にあってさりげないのにすごいなと思ったり、元気になれたり、なぜかずっと関わることになっていたり、したのだろうけれど、そのような「色」ということに、私たちひとりひとりの人間が、とりたてて興味を持ち続けていること、その探究心や輝きと出会っていることに感謝をもって、私たちはその魅力を伝えていく必要があるのだと思います。

色の世界は、「知った〜!」と終わるものではありません。自然を知ることに限界がないように。

知れば知るほど、色彩の世界を難しく考えることができるし、正直に言えば、自然のことを完全に近い形でわかることなんて、私たちに到底できるはずもないことです。
でも、だったら自然を知らなければいい、色のことを学ばなくていい、ということではなく、それを少なくとも仕事とし活動していくことに、心や魂が入っていくことが社会への働きかけにつながっていきます。私たちは意味や価値を注いで生きていくことに前向きにいることが大切だと思います。

どんなことでも、その道に立つということは、覚悟がいります。
色に興味をもった自分自身の「何かある」という直感に信頼を置いて、深みから突き動かしてくる何かをやっぱり自分たちの足で見つけて、大地に根差すことができなければ、どっしりとした覚悟も花開いていかないのではないかと思います。

大好きなものであれば、とことん知ってみたい、知っても知ってもまだ魅力的であるものが、色彩であるのだと思います。だから知ることを怖がらないでいたいと思います。

自然のふるまいや在り方、その力をもっている「色」は、尽きることのない自然の資源を学んでいくことでもあります。

もしそれが「尽きた」と感じたり、「やり切った」と思えたとしたら、自分の思う「自然」ということを、「本当にそんなものだろうか?」と疑わなければなりません。

自然は、圧倒的な巨大な営みをもって、創造的に生み出し、のみこみつづけ、驚きや発見で私たちを満たします。知ったと思ったそばから、また新たな視点をつきつけてくるわけですが、そこには私たちが自然の一部として、その全体性を働かせなかがら生きていることを、1日や季節や1年や一生や、そういったミクロやマクロにわたって、同じ同心円上の関係性を見せ続けてくれています。

「私には公認色育士は向いているのでしょうか」

そう思う気持ちを持つことは、きっと悪いことではないのではないかと思っています。
講師をつとめる私自身も、そう思うことがあります。

答えを急がず、学びに自分として飛び込んで、しっかり関係してみる時期です。
パーフェクトを目指すことより、自分自身が足りないものがあることの自覚こそが、公認色育士には必要なことではないかと思います。

ありがとうございました。