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散歩をすることで
私は自然になる。
曲がったことのない道を曲がってみたり、
しゃがんだところのないところでしゃがんでみたり。
小さな衝動を大切にできる時間。
そういえば、日常ではしゃがみこむことなど、そうないよな。
散策のときは
思い切りしゃがみこんで
風がうむ葉音を聞いたり
生き物がかさかさ動き出す音をきく。
あちこちで何かの気配を感じる。
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いつも慣れ親しんだ視界から見ていると、見えていないことがたくさんある。
しゃがみこんで、視線が変わるだけで、
違う小宇宙が見えてくる。
そこに少しでも静かに居座る覚悟があれば、
さらにそれは息づいて見えてくる。
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蝶々がはたはたひらひら飛んでいる。
蜂が蜜を探してでっぷりした体をなんとか飛ばしている。
蟻が冬支度のために自分の体より大きなものを運ぼうと勇ましい。
緑や花、蕾がたわわに茂っている。
石も転がり、繊細なとかげも顔をだす。
木の根がりゅうりゅうと隆起している。
そこここにある自然の営みの中に
自分という存在があることを、思い知る。
ささやかでいいことを、
そのささやかが、自分の本流であることを
思い知る。
人間として生きているのはとても複雑だ。
ふとすれば自然以上の存在だなんて、自分のことを思い込む。
散歩しているだけで涙が出てくることもある。
何度も思い直す。
何度も自分でなくなりたいと思い、
自分でしかないことを、繰り返す。
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ゲーテとシラーのことを書いてあったどこかの本に、
「ゲーテはまったくの自然の人」で
「シラーは損なわれた自然を追い求めた人だ」というような
一文を思い出した。
彼らが親友であることは有名な話である。
人は
「自然である人」と、
「自然を追い求める人」の2種類があるとしたら、
私はどちらなのだろう。
私は自然を損なっているのだろうか、
それとも私は自然なのだろうか。
その境界がわからなくなってくる。
今という時は、刻一刻と次の季節へとむかっている。
騒いでいたものが落ち着きを持ち始めているのがわかる。
冬の匂いがした。
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