「たかが色だろ」
そう思って、単位のためにとっている学生も
200人も集まれば、きっと多くいる。
そんな多くの生徒の中のできる限りに、
「んー、”たかが色”、そうでもないのかもな…」
と思ってもらうのが、きっと私の大学教育の仕事なのだと思っている。
否定の力が強まっている現代を
どう過ごしていても肌で感じてしまう。
彼らの過ごしている学生時代にも、
無関心が広がっている。
どこからともなく棲みついた虚無感に苛まれたり
何をするにも力が入らない学生もいる。
消去法で事を決めることが、茶飯事な生徒もいる。
それを学生個人のせいにすることは、私はやはりできない。
時代のせいだけにすることも、やはり違う。
私は私の足場で、大人たちが大人たちの足場で、
できる限り自分ごととして引き受けることがやれることだと思う。
「所詮〜だろ」と
何も知れないうちに思い込んでしまうのは、もったいないことだ。
検索ボタンから見つかることはいつも、”私が見つけたもの”ではない。
血肉にできるものではない。
自分の足で歩ける世の中に、していかないといけない。
彼らは自分で感じて、自分で想像して、こうだ!と思えることに出会ってゆける。
そういう力をたっぷり持って、燻らせている。
自分で見つけることが、苦労することだと知った人は、
見つけた人のことも、見つかった事柄も、大切にできるものだ。
大学生の彼らの感想文で読ませてもらえる時間が、苦しいし、嬉しい。
大学講義、後半が始まりました。
多くの学生が、ちゃんと感じる事を手放さないで、出席してくれています。
どうか応援、見守りをお願いいたします。