こんにちは。いつも色彩自然学の学校のブログを見にきてくださりありがとうございます。

色彩は、「自然」が語る「ことば」である

といったことを「色彩自然学」では礎(いしづえ)にして、
色の不思議を学んでゆきながら、自然観を押し広げてゆくわけですが、
今回は、色とりどりの「花」について、そして「花が咲く理由」について接近してみたいと思います〜。

花が咲く理由〜花はなぜ多彩な色なのか〜

花が咲く理由

ヒルザキツキミソウ

私は散歩が好きで、趣味の欄に「散歩」と書く人間ですが、
そういった人は大抵、花の名前や虫の名前をよく知っていると思われますが、
私は知らなくても全然いいと思っているほうです。

知らない方が毎回、毎度驚いて、知らないことを少しずつ
体験的に獲得していますね。

こんなことを言うと元も子もないんですが、
花が咲く理由も同じことで、知らなくたって
それはその植物にとってすごいことだということは、観察していたらわかるようになってきます。

時間をかけて花を咲くための準備をしていることが
伝わってきます。

ただ、ひとつ私たちが観察だけで知り得ない驚きは、
大昔は、「花が咲く植物がなかった」という昔のことだと思います。

大昔は花が咲く植物がなかった?!

メモ

大昔は、花が咲く植物がなかった!

メモ

大昔は、花が咲く植物がなかった!

これは非常に面白いことですよね。
こういうことが知れてくると、
どうして植物たちは花を咲かせるという成長の仕方を求めて変化・成長してきたのだろう?
と疑問になってくるわけですね。

最古の花の咲く植物があったと信頼できる化石は、
白亜紀前期中頃の見られる花粉の粒の化石でした。

それまでのジュラ紀や三畳紀以前は、花をもつ植物(被子植物)がありませんでした。

つまり、
「植物として生き残るために、なぜか花を咲かせる必要が出てきた」ということです。

メモ

白亜紀に、植物は、植物として生き残るために、花を咲かせる必要が出てきた!?

では、なんのための花を咲かせる進化が、植物にとって必要だったかについて、
かいつまんで見てゆきましょう。

なんのために花を咲かせる進化が必要だったの?

白亜紀以前の植物は、増え方として、自分の体の一部を分裂させて、
それぞれを増やしていくことをしていたそうです。

ただこの方法では、問題があって、
同じ種類の植物しか増やせない、ということでした。


色彩自然学の学びでもよく出てくるのですが、
生命は、自分と同じものを生み出す能力を与えられています。

ただ、自分の一部を分裂させて増やすというやり方には大きな欠点がありました。

それは、種としての勢いが衰退してしまうことです。

メモ

白亜紀以前の植物は、分裂して増えるやり方を持っていたが、

種としての勢いが弱くなってしまうことが欠点だった。


そこで、植物として力強く生き残るために植物が選んだ進化の道が、
自分ではないものと力をあわせる「受粉」の方法でした。

植物は進化の初期段階において、「動かない」ことを選択していましたから、
自分から動いたりして相手を選ぶことができません。

その不自由さを解消しようとしたとき、
「花」を咲かせ、「花粉」を作ることで自分の遺伝子を運んでもらう方法を創造してゆきました。

雄花や雌花を形態づくり、
花粉をほかの媒介者(昆虫や鳥、風など)に運んでもらうことによって、
仲間を増やし、生き残ること、発展することに成功しました。

メモ

植物は白亜紀以来、
花粉をほかの昆虫や鳥や風などに運んでもらうために
花を咲かせるという進化を遂げた

植物にとっては受粉をするという目的を、どのように達成するかということが
大切な課題になるわけですね。

花の色はなぜ多彩なのか?

メモ

受粉を達成するために、どんな虫を誘引したいかを色や香りや形で表現している

花は花粉を運んでくれる昆虫や鳥などを
色や形や香りによって誘引していると言われています。


アゲハ蝶が赤色に集まる傾向があったり、
蜂が黄色からオレンジに集まる傾向があったり、
昆虫全般が白色に集まる傾向があったりするそうです。

色彩自然学からさらに考えてみると….

私は、科学が専門ではないので、まずは描いてみることや観察から入りました。

花は成長段階を経て、その生命の絶頂に咲き誇ります。
しかも、さきほどあったように、花を咲かせるに至るまでに
さまざまな試練を超えて咲くことへと至ります。

人間でいうと、人の在り方は十人十色と言われますが、
花も人間と同じように1つの生命と考えたら、
それぞれに植物としての「個性化の過程」を歩んでいると感じます。

花それぞれが、自分が何者かになったことを示すとき、
その表現する色が
もっとも自分自身を表すにふさわしかったのだろうと思います。

私は「こんな花の色だよ〜」と言ってこそ、虫や鳥やいろんなものたちと
交流できるのだと思います。
その熟れた時期を、人間も、花も、表現していることを感じます。

「人間と同じように個性化の過程を辿って自分をこの世にその色と形で表現した」
などというと、
科学からすればなんと根拠のない生ぬるい回答だと言われるかもしれません。

でも、私たちの知りたい自然は、科学ということだけでは全てを知れません。
自然を知れば知るほどに、敬う気持ちもでてきます。
「自然を制御できる」という立場では、
きっと花や自然の本質と通じ合うことも
できていないのだと思います。

大きな自然に包まれる小さな自然という点で、
私も花も動物も、同じ生命を生きている仲間だと思います。

ある難題にぶつかってそれを超えて進化していく。
そんなところも、人間は、花とも動物ともどんな生命とも似ています。

私たちが花なら、どうしてその色を身に纏ったんだろう?
そんな童の心で考えることが、
意外と事の本質をついていたりするのではないかと私は思っています。

次の動画を参考としてYOUTUBEより引用させていただきます。
花が蕾んでいるところからどのように咲いていくかを
時間を早回しして見せてくれます。

私は花の生命1つ1つがやっと蕾み、開花へと向かう解放の物語を感じざるを得ませんでした。

出典:YOUTUBE/Flowers opening time lapse. Water lily, Dahlia, Fritillary, Grasses

まとめ

いかがでしたでしょうか。

花はどうして咲くのか、そして花の色はなぜ多彩なのかについて
かいつまんで書かせていただきました。

余談になるかもしれませんが、
先日、色育士たちとともに「花を描く創作現場について考える研修会」を行ってきました。

非常に有意義な現場になりました。

「花を見ていると
 それぞれの花が私を堂々と生きているのを感じる」
という色育士の感想がありました。

「花が咲く」ということには、
その植物自身が自分自身の絶頂を堂々と謳っているような
そんな様子が込められていることを感じます。

今回は以上です。
また感想などがありましたら、色彩自然学の学校までお寄せいいただけると励みになります。

ありがとうございました。