客観性や普遍性がないとすぐに疑われ、虐げられてしまう色という学び。
1600年代、ガリレイやロックの時代に、
数値化でき、測定可能なものだけが科学の対象となり、
研究対象から外された歴史をもつ「色」。
一筋縄ではいかない、
数値ではかれない、
定量化ができない、「色」。
人のイメージを宿し、象徴するものや、
曖昧とされる私たちの感覚に宿り、
光と闇というヌミノースなものすら含む、「色」。
だから面白い。
みんなの心をもやもやさせたり
行動のきっかけにすらなったりするものとして
確かに私たちを動かすもの。
思えば、
わからないものが、
不可解なものが
かなわないものが
私たちにはあるはずだ。
それが源となって、私たちの生命は
みずみずしく営めるはずだ。
これを20年やってきて、
この領域こそ
普遍性という人類共通の深みを追いかけることが
醍醐味なのだと私は思う。
それは、理路整然としたものではないけれど。
それをしなければ
色や芸術や自然が、
ただのふわふわしたものだけに終わってしまう。
魂の叫びのように表出されるそれらの
意味や価値や必要性を、知恵に語りかけながら開いてゆく。
神話や童話、伝承などから、
人間のイメージの元型を今日も追いかける。
太古の昔から
脈々と続いてきた心の動きのパターンに
色のダイナミズムが息づいている。
自然がどのように色を宿して
変化しながら組み上がってきたかという物語が息づいている。
それは
国境も時代も超えて、
人類がおしなべて経験してきたことの積み重ねであり、
多くの主観が集まって
客観になってゆくことのドラマであり、
私たちの無意識に与えられたものの
角が取れて単純な形になったものを再発見し、
味わい尽くせる喜びだと思う。
今日は
少し熱くなった。
授業が全て終わったあとでも
何かが残りますように。
彼らと対話が続く何かが、
たとえ反発するような気持ちであっても、かけらでも。
残り2回。
まったくうまく伝えられないけれど
彼らのおかげで、私は今を生きられている。
ありがたい。