「この世界なんて、どうなったっていい」
この世を最終的には去るわけだから、
そういう気持ちになるのかと思っていた。

でも、年をとるにつれ
父が逝くことを、秋晴れの青い空の下で見送って、
私は今、真逆の気持ちになっている。

この世のことをできることなら愛したい
姪っ子たちの過ごす明日ことを、
輪廻するだろう家族のこと、私たちのことを、
大それたことを言わせてもらえば、地球のこと、畑にある虫たちのこと、植物たちのこと、川にいる鳥たちのこと、動物たちのこと、生命のことを、
考える今日になった。

土のことを知りたいと畑を始めたことも、私の転機になった。
あらゆるものが土から生まれ、土に還っていく。

「自然と共に生きる」という言葉を提示しても、
何をやっていいのかわからないし
環境活動をする、ということだけではないだろうし
自然とのあきらかな違いを見つけてしまう日々も、現代人にはある。

私がやる仕事というのは、強引なもので、
色をつかってテーマにそった絵を一緒に描こうと呼びかけるものだ。
「太陽」だったり、「月」だったり、「木」だったり、「野菜」だったりもする。
いやいや描く人もいるし、きょろきょろ描く人もいる。
携帯電話で調べて描く人もいる。どんな人の手にも色がにぎられながら。

描いたのちに
”私のなにか”が、その絵に宿っていることに、誰もが気づく。
「私でなければ、こうは描かない」
そう言わなくても、不思議とみんなが、心で感じてしまっている。

私が私へと還っていく時間は、
誰かのものさしを横において、
私の等身大で、どこまでも自由であるべきだ。
愛おしさとは、そこから生まれるのではないか。

自分の掌で描いたものが、自分のものになっていく。
語ることで、描くことで、自分のものが見つかっていく。
たとえ汚くても、たとえゆがんでいても、旅の途上、豊かな旅だ。
紆余曲折のなかを、歌いながら生きていく。

何からやっていいかわからない。
それなら、内にある自然とともに歩くことから、始めよう。
手に取る”色”は、
私が私に還っていくための、”歌”だ。