モグラは目が見えないのはなぜ?光との関係から

もぐら

地中の闇の中で生活する生き物としてよく知られている、モグラ。

「目がない」

「目が見えない」

と言われていますが、それはなぜでしょうか。

色彩自然学から見た、光との関係においての秘密に迫ってゆきたいと思います。

目があるのは、光のおかげ?!

ゲーテの色彩論の教示篇序論の一節にこんな言葉があります。

「眼が眼であるのは、光のおかげである。
 動物のとるに足らない補助器官のなかから、
 光は光と同一なひとつの器官を作り出した。
 つまり、内なる光が外なる光に呼応すべく、
 眼は光に即し光のために自らを形成したのである。

 もしもこの眼が太陽でなかったならば
 なぜに光を見ることができようか」

『色彩論 教示篇』ゲーテ 序文より

後半の二行は、、古代の神秘主義者であるプロティノスの詩からの引用のようで、
少し難しい文章かもしれませんが、
簡単に言えば、

眼(目)というものは、
光のもとで、光のために作られた器官である

ということを言っているのだと思います。

ゲーテはいつも古代の人々の感覚的直感的な考えと近代の悟性的理性的考えの間を行き来します。
こういった古代と近代のものの見方を境界をひかずに往来しながら
ことの本質へと潜り探究してゆく姿勢こそが、
普遍レベルの私たちの何かを見出せることにつながってゆくのだと思います。

目が光のある環境で、光に向けて作られたとしたら、
やはりモグラには、目が必要だったのでしょうか。

モグラの目はない?それとも見えない?

モグラ

モグラの目は…

  • 目という器官はある(小さいがちゃんと2つある)
  • 生まれたときの閉じたままの目を維持している
  • 網膜や水晶体もあるが、ほぼ機能していない
  • わずかな光であれば感じることができる
  • 生まれて目の開くモグラもいる(西欧)そうだが、視力は大幅に低い

モグラは地中で生活しているため、
太陽や光を浴びることのない生き物です。
むしろ、夜や闇といった光のない世界を生き延びていく力が必要になります。

もぐらは、完全な地中での生活に適応しました。
そのことで、眼という器官は持っていても、光への呼応の必要がなくなり、
生まれたときの閉じられたままの目を、維持しているそうです。
網膜や水晶体などがあるけれど、機能していない状態であるとも言われています。
視神経については、全く機能しないわけではなく、わずかな光であれば感じることができます。
また、西欧などにはモグラの中でも生まれてから目を開くもぐらもいるそうですが、
視力は大幅に低いと言われています。

モグラは光に弱い!はウソ?!

「もぐらは光に弱く、光のもとに出ると死んでしまう」と言われていますが、
これは間違いで、そんなことないそうです。
ただ、そう言われることにも理由があって、
地上に稀に出てくるモグラが、天敵である猫などにやっつけられることがあります。
でも、体臭がきついもぐらは、結局は天敵に食べられずに放置されることが多く、
人がそのようなもぐらの亡骸を見て、「モグラが光で死んでしまった」と思い込んだそうです。

でも、真実は、モグラは光を見たり感じたりすることが疎いだけで、
光にさらされると死んでしまうということはないそうです。

光のない環境に適応したモグラの進化

もぐらは地中で生活しているため、普段は目という器官や視力があることが重要ではありません。
感覚器官として重要なのはむしろ、「触覚」「嗅覚」や「聴覚」ということになります。
私たちでいう光のない夜の闇の中での生活が当たり前という状態です。

目が見えることのエネルギーを省き、
その分のエネルギーを触覚や聴覚、そして嗅覚に回すことで、
モグラとしての生存競争や豊かな生き方、生き残りにかけていくのだということが見えてきます。

モグラは触覚や嗅覚、聴覚が非常に優れています。

まとめ:地中都市に人間が生活する未来を考えてみる

少し話が飛躍しますが、

私はモグラのことを調べながら、人間はどうなるのだろう?と考えていました。
そもそもモグラが気になっていたのは、
地中を生きることに徹した生き物だからです。

これから感染症などが拡大し、
温暖化現象などが進んでいる地球において、
地中都市や地下都市ということは避けられないことにやはりなるのでしょうか。

もしそうだとしたら、未来では、
地中で生まれ育ち、最後も地中で迎えるような
太陽を浴びたことのない人が出てくるのでしょうか。

私たちは太陽光のもとでさまざまな鮮やかな色彩を体験できますが、
そうなったとき、人間の眼というのは、一体どうなっているのしょうか。
退化しないまでも、聴覚や触覚、嗅覚などが発達するような
そんなことが起こるのでしょうか。

もちろん文明の発達によって得た光の技術によって、
おおよその明かりは担保できるのだろうけれど、
「太陽」という、いくら科学でも作ることのできない
自然の恩恵を浴びたり、関わったりすることができなくなります。
やはり科学て作る光と、太陽の光とには、
大きな違いがあります。

植物なんかは地中ではどうなるのでしょうか。

地球温暖化についても、あまりに私たちが人間中心に物事を考え、
利便性を追求してきたこの資本主義世界を良しとしたひとりひとりの問題であるだろうと思います。
まず、私自身の生活から見返してゆくべき必要があるなと思いました。

自然とともに生きるために何をしなければならないか。
未来の子どもたちが、
太陽を浴びた生命活動を続けるために。

この記事を書いた人…

一般社団法人 色彩自然学の学校 代表
色彩自然学者・大学講師

高橋 水木 MIZUKI TAKAHASHI

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