大暑。農的な生き方から色彩とともに。

色彩自然学の学校代表 ミッキー

色彩自然学の学校の代表 髙橋水木です。
ぜひ読んでやってください。

自分自身のよりどころとなる「自然」を尊重した生活をしてゆきたい。

食べる物を、土からいただきながら、農的な生き方をしたい。

そう願って、畑を始めて1年目。

夏があっつい💦なんだこの暑さは。
だくだくに汗がでる。太陽がすぐそこに来てやしないか☀️

朝起きて畑に行ってびしょびしょになって帰ってきて、
きゅうりをほおばって仕事をする。
畑に慣れるまでは体も暑さできつくて、
15分や20分の「体を横に休めようタイム」ということが必要になってくる。

畑をし始めて驚いたことは、
収穫まで育ったものを、もう食べ飽きるか、と思うけれど、
全くそんなことがない。
体が正直で。今まさに採れているものを体が欲っしている。きゅうり、トマト、食べたくなる。

私は、「童顔だ、童顔だ、」とよく言われてきたけれど、
最近は、近所に住む年配の女性が、「かわいい顔しとるな、あんたは」と言って「これ食べー」とアイスをくれる。
ハーゲンダッツのバニラ😆自分の童顔にこれほど感謝する日がくるとは思わなかった。

写真のように帽子をかぶるのを忘れた日は、
たいていぼこぼこに蚊に顔をかまれる。

瞼が腫れたり、服の上からでも平気で蚊は噛んでくる。
それを回避するために表情筋を動かして猿の顔を真似たり、
ときどき気が触れたようにジタバタしたりしている。
はたから見たら危ない変態野郎だろうけど、
そんなことより、痒いからね。猿顔も板についてきた🙈

畑をはじめて、
私は楽天的でいようと思う気持ちが以前よりすこし強くなったと思う。

雨が降ったり風が吹いたり日照りが続いたり、
天候に左右されるのは当たり前のことで、
これは私たちがまったくコントロールできるものではない。
最近はカラス被害がすごい。
そこに知恵をいろいろ使うけれど、大事なことは
この畑と一緒に、どんなときもなんとかやっていこうな、と思うことだ。

雨が降って風が強くなって、かっぱをかぶって、畑の様子を見にいく。
それは誰かが風邪をひいて寝込んだときに、様子を見にいくことと同じようだった。
起こったことを、起こったように、一緒に経験しようとする。

近くを歩けば、
梅雨の湿気がまだ残る木陰で、
きのこが落ち葉を持ち上げたりして生えている。

そういえば、昨年はなかなかカマキリに会えないな思って散歩していたのだけれど、
今年は、家の小さな庭に、カマキリがいる。

オクラを育てているその葉っぱにいたり、ライムの木の葉にいたり、
とても近くで生活しているから、彼らの今まで知らないいろんな表情を見れて、ありがたい。
それと同時に、彼らにも私が見られているということだろう(複眼だけど)。

今やらせてもらっている畑は、自然農法で、
虫がわんさかいるし、必要以上に土を耕したり手を入れたり何かを排除したりもしない。

たとえば土には石がごろごろあるけれど、石ですら土の中に空気を運んだり水を通したりすることに必要で、
むしろ積極的に石を投入していきたいくらいのやり方をしている。

虫たちもぶんぶん、ぴょんぴょん、にょろにょろと私のそばを結構平気に動いていて、
バッタなんか、もうかなり大きく育っていて、肉肉しい体つきで、
「ジム通いでもされとんですか?」というようなマッチョ。

そんなふうに身近に生きているのを感じていると、
「虫と私の間に境界などあるのだろうか」と、思う。
たまに葉っぱをめくってみると、交尾のようなことをしているもんだから、
「あ、失礼。」とそっとしておくこともある。

この時期、学校においても、いろいろなことがあった。
考えなくてはならないことがあって、決断しなければならないこともあって、どうしようもないこともあった。

何がいいか、どうすることがいいのか、
まだよくわからないこともあるけれど、
私は虫で、虫は私だな、と感じることとか、
私はこの花で、この花も私だな、と感じることとか、
私はこのなすびで、このなすびもきっと私だ、と感じることとか、
そういった1つ1つに無心で入って感覚していくような、
そんな共感力のようなものが、必要だと思っている。

美しさを感じたり、愛を感じたり、
それは知恵ではなく、納得でもなく、感じるものだと思う。
何かを思いやる気持ちも、「ねばならない」からではなく、
きっと自分が感覚する渦中から、湧き出てくるものなのだと思う。

畑や川という、私の好むものには、
限りなく多様なものがあって、それが絡み合って雑然としている。
でもそれらがある調和を作り出そうとしている。
それこそ実は、和解に通じていたり、ほんとうの平和に通じていたりするのだと思う。

畑をやりはじめて、緑という色が、この夏に教えてくれることがあまりに多い気がして、
それがまだ、言葉にならない。
やっぱりこの炸裂するような、吹き出してくるような生命は、緑という色でいてこそたくましいし、
何度も何度も同じものを生み出す力を、諦めない力を、どんな色より持っている。

畑の中にいると、緑たちが繁る中から、その時期を超えて赤く実ったものが
まるで「今だよ、取って食べてくれ。このバトンを繋いで生かしてくれ」と言っているように感じる。

それは素晴らしいバトンだし、私はそれを受け取りたいと思う。

読んでくださりありがとうございました。

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