青の宿命
ぼちぼちと止まっていた時計を動かす時間がきた。
私は人間だから、止まってしまうことがある。
いや、私が怠惰だから止まってしまう。
止まっていても何かしら部分が動いているのだろうけれど、
全体において繋がりが感じられない「私」の限りは、
まるで生きた心地がしないものだ。
思春期にもそのようなことがある。
青の時代という言葉に妙に納得してしまうほど、思春期には青が似合う。
青には、本源なる闇の力が働いている。
こんなことを言って、神秘学的な響きに聞こえるのはそうだけれど、
闇は神秘だけではなく、私たちの生きる現実にもある。
今の私たちは新型コロナの渦中に放り出されたようで、
まるで長いものに巻かれている。
見えざるコロナの手が、あちこちで伸びて、
私たちにタッチしているかのようで、見えない触手ほど、恐ろしいものはない。
闇は見えない世界の住人で、青もまた見えない世界からやってきた色だ。

青には、黄やオレンジと違い、本源なるものの堂々とした姿がある。
外へ外へと、中心から離れて拡大してゆくその姿に、
心が翳っているときは、恐ろしい気持ちになり、
心が明るいときは、包まれる気持ちになる。
意識がゼロになるときを、青は待ち受けている。
青は何よりも先にこの世界を包んでいる色だった。
光である黄色よりも先に。
そのずっと奥にあった孤独に、
私たちは引き寄せられるのではないか、と感じる。