太古の言葉としての「色」

代表ミッキー

こんにちは。色彩自然学の学校 代表のミッキーです。
私の「よもや話」を投稿しています。
お付き合いください。

最近は、人間のいろんなものの技術が進化して
「見えすぎる」という話。

カメラも意思すればどこまでもズームできるけど、
私は自分の肉眼で見えるくらいが
ちょうどいいように感じている。

不思議なものは
不思議なまま。
紐解けないままでいい。

”なんかすごいな〜”とか
”得体がしれんな〜”とか思いながら
つきあえってゆけるものがある。

そのことがやっぱり、
人間や命には
必要だと思う。

たとえば、宇宙のことも。
アルファベットや数値やアルゴリズムのようなもので
これはこうだと解説されると、
感心しながらも、
どこか冷めてしまう自分がいる。

言葉になる前の言葉があって、

葉っぱになる前の葉っぱがあって、

私になる前の私があって、

世界になるまえの世界が、きっとここにはあったはずだ。

そんなことを思っていると、今もなお
見ているもののずっと下の層から
声なき声をあげながら、
「ワンダーランドがここにあるよ」と
伝えてきている気がする。

その1つの、言葉になる前の言葉が、
そう、「太古の言葉」が、「色」なんだろうと、私は思う。

代表 ミッキー

最後までお読みいただきありがとうございました🙏☺️
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どうぞよろしければ、ご参加いただけたら嬉しいです🤗

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